私たちは
自分の設定(観念・思い込み)通りに
現実を創造しています。
なぜか?
①現実を創造するのは感情
②感情は観念の反射
だからです。
私たちの感情(感じ方)は
自分の観念の反射でしかない。
だから
感情(感じ方)だけを変えようとしても
本当に感情(感じ方)を変える事は
なかなかできません。
大事なのは
「なぜそう感じるのか?」
という事です。
なぜならば
「なぜそう感じるのか?」の答が
「そう感じさせる観念」だからです。
例えば(´・ω・`)ノ
何かに関して「ムカつく」と感じた時
「どうしてそう感じるのかな?」
と自問自答する。
その答えが
「バカにされた(気がした)から」
「相手が失礼なことをしたから」
だった場合。
「バカにされた」と感じるのは
「劣等感」があるからです。
なので
「この出来事は、自分の劣等感が
現実化したものだったんだ」
「では、劣等感を解消しよう」
「劣等感に関する観念を消去しよう」
と、思う事が出来る。
そしたらば(´・ω・`)ノ
「一体どんな劣等感なのだろう?」
「一体どんな観念なのだろう?」
と自問自答する。
その答えを出すためにやるとイイのが
「何をバカにされたと思うのか?」
「何故失礼な事をされたと思うのか?」
と、これまた自問自答する事です。
その時出てきた答えの中に例えば・・・・
「美人・ハンサムじゃないから」
というものがあった場合は
「見た目に対する劣等感がある」
という事が分かります。
別の言い方をすると・・・・
自分が自分の容姿をディスっている
という事です。
観念っぽい言い方をすると
「自分=美人じゃない・カッコ悪い」
というような観念がある
という事です。
そして
「カッコよくないとバカにされる」
「美人じゃないと大事にされない」
というような観念がある。
という事も分かります。
なので、それを変える。
変え方はいろいろありますが
そのうちの一つがこちら。
それで・・・・・・・・・
↑の記事の中で
効果的なアファメーションを作る際に
重要なポイントは
・しっくりくる文章にする事
・つじつまが合う事
(つじつまが合わないとしっくりこない)
と書いたのですが
「つじつまが合うとは何ぞな?」
という話はしませんでした。
「つじつまが合う、合わない」
という事についてはこちらの記事の
「理解されない・理解されたい」
という話の中でした「私の場合」
の部分にチラッと登場しています。
大体こんな内容でした。
***************
「理解される」
という現実を創造したい人は
そうなるアファメーションを作るといい
例えば
「私はみんなに理解される」
とか。
でも
私の場合はそれだとしっくりこないので
別の文章にする。
なぜか?
・みんなに理解される必要は無い
・私も全ての人を理解する事はできない
・魂の領域ではみんな理解しあってる
というか、みんな一つだから・・・
常に全て分かり合っている。
*理解されたいと思う必要は無い
から。
なので
私が「理解」に関するアファを作るの
だとしたら
「誰にも理解されなくても大丈夫」
「私が私を理解しているので大丈夫」
「理解されなくても理解されている」
かな・・・・・・
***************
大体こんな感じでした。
自分が
「理解される必要は無い」
と思っているのに
「みんなに理解されている」
というアファを作っても・・・・
思ってる事とアファの内容が合わないので
(つじつまがあっていない)
しっくりきません。
何よりも
自分が
「全ての人を理解することはできない」
と思っているのに
「みんなに理解されている」
というアファを作っても・・・
作っても、というか・・・・
つじつまが合わないどころの騒ぎではない
「なんだこりゃ(´・ω・`)??」
なんです。
「他人=自分」です。
自分が
「自分には理解できない人がいる」
と思っているという事は
「理解できない人がいる」
という観念があるという事です。
という事は
「私を理解できない人もいる」
という事を許可しているという事です。
なので絶対に
「私を理解できない人」は
出現するんです。
なので・・・・・
あなたが誰かや何かに対して
「あの人の事は理解できない」
と感じる限り
どんなに
「私はみんなに理解されている」
とアファっても絶対に
「私を理解しない人」は出現する。
するとこう思うんです。
「アファメーションなんて意味ない」
・・・・・・・・・・・(´・ω・`)b
でも、違うんです。
つじつまが合ってないからなんです。
「ああいう人は理解できない」
と思いながら
「みんなに理解される」
とアファメーションをすることは
「コーヒー飲みたい!!」
「コーヒー飲みたくない!!」
って言ってるのと同じ事なんです。
なんか、わけがわからない事になってる。
「つじつま」、大事です。
そのためにも
「他人=自分」という事を忘れない。
「他人が自分を理解する」
という事は
「自分が他人を理解する」とか
「自分が自分を理解する」という事も
イコールになるんです。
三位一体というか・・・・・
なのでもちろん
自分が自分を理解する気が無いのに
「みんなに理解されている」
と言っても、アカンのです。
という事で・・・・・
つじつまに関してチェックしたい時は
「他人=自分」
という視点で見るといいでしょう。
でも、あんま細かく考えてると
考えるだけで終わっちゃうので
基本的には
「しっくりくるかどうか?」
でチェックすればいいと思います。
また・・・・
「他人=自分」の視点では
どうにもチェックできない場合は
自分の中の、その他の観念と
照らし合わせるとイイでしょう。
例えば
「ベジータのように空を飛びたい」
と思って
「私は生身で空を飛ぶことが出来る」
「私は武空術が使える」
とアファっても
「重力がある」
という観念があるかぎり無理です。
イカロスよろしく落ちるので
飛んではいけません。
勇気や気合では飛べないんです。
観念なんです。
観念なんです、という事は
観念次第では、飛ぶこともできる。
ハイ(´・ω・`)ノ
「宙に浮ける人」います。
チベットの坊さんとか。
彼らは
日々の瞑想だなんだの中で
「重力がある」という観念を
変える事が出来た瞬間に
宙に浮きます。
パワーではありません観念です。
「重力がある」と思いながら
「生身で空を飛べる」とアファっても
飛べない(浮けない)。
つじつまが合わないから。
でも
「重力」に関する観念を変えて
「飛ぶ」(浮く)ための観念が揃えば
実は、飛べる(浮ける)。
観念が変わると何でもできるんです。
イエスが海の上を歩いたのも
きっと同じ原理でしょう。
行かばわかるさ、なんです。
(その境地に)
そんで今、私たちはそのイエスと
同じ境地に来ているそうです。
そこまで観念を変える事が出来る領域に
来ているという事です。
「私にはこの観念を変える事はできない」
と思って
←こんな感じになってる人も
いるかもしれません。
なので参考までに・・・・
あなたは
イエスや仏陀と同じ領域(悟り)に
行けるステータスを持っています。
イエスや仏陀が超えられた事は
あなたにも超えられます。
なので、あなたが今
「私には変える事ができない」
と思っている観念。
「イエスや仏陀だったらば
これを変えられるかどうか?」
と考えてみて下さい。
YESなら、あなたもYESです。
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