こんにちは。渡邊美帆子です。
アラフィフオンナが、
感じるままに綴るブログです。
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こんな時代だから、
いや、こんな時代でも
無宗教の私でも「神様」はいるのだなあと思う。
神様というか、「絶対的な存在」というべきか。
午前中からパソコンの前に釘付けで
ようやく一息つき
洗濯物を取り込もうと外へ出ると
雲の切れ目から光がシャワーのように。
疲れた頭に清らかなエネルギーを
充溢させてくれるような。
こんな風景を、
35年以上前に見たことを思い出した。
それは確か、
大学のサークルの合宿へ行く途中。
電車の窓から、こんな光を見た。
思わず私は、
「こういう風景を見ると、神様っているのかなあ
って思うわ。」
すると、間髪入れず、
それを聞いた後輩が優しい口調で言った。
「神様はいらっしゃいます」
私が通っていた大学は、ミッション系。
しかし我が家は無宗教一家で
クリスマスも初詣もお墓参りもする。
そんな家の娘である私は、大学に入ってから
クリスチャンとか、シスターとか、神父様とか
初めて「リアル」で目にしたのだった。
大学の授業でも、キリスト教は必修科目で
嫌でたまらなかったが、
とりあえず一つの哲学として考えるように
自分を納得させていた。
その後輩は
敬虔な「クリスチャン」で、
毎週日曜日には礼拝も行っていて
中学からミッション系の学校に通っていた。
何だか私は彼女にそう言われた時、
一瞬彼女の真面目さに固まったが、
同時に、
その純真な真っ白な心を持つ彼女に
何だか申し訳なく感じた覚えがある。
自分が彼女ほど純真でないから…
自分が彼女ほど真っ直ぐでないから…
自分が信仰心を持たないから…
でも一瞬私の心を通り過ぎたそんな気持ちは
女子大生の甘ったるいお遊びや
毎回のレポート提出に追われて
すっかりどこかへ消えていた。
神様はいらっしゃいます。
そうよね、
今ならわかる。
まだあの頃の日本は
宗教というものが
今よりもさらに特別なものであって
在る意味、タブーであり
在る意味、異端的に扱われ
在る意味、今よりも畏怖の念を抱いていたような
そんな時代だったような気がする。
まだ幼稚なあの頃の私の中では
絶対的な唯一無二の神様の存在を
受け入れることは
何だかとても恐ろしいことのように感じていた。
もちろん初詣も受験の祈願も行っていたが
信じるものは救われる的な
そんな思いが強かった。
30年以上も経って
急に彼女の言葉を思い出したのは
社会も、そしてコテコテバブルを生きた私自身も
目に見えないものに
多くの価値を見出すようになってきた
時代の変遷にもよるものかもしれない。
超がつくほどのお嬢様で
大学生となっていても門限が18時だった彼女、
今.どうしているのかしら…
きっと、
あの優しい口調は変わっていないだろう。
