こんばんわ![]()
春土用の期間中だけど土を動かさなければいいらしく、
夫はお店の営業のあと休耕田の草刈りに行きました。
明日はお寺の婦人部の草取りなんですけど、
塩をなめて参加しようと思っています。
ご近所からもどんどんタケノコが届くようになっちゃって
食べ過ぎて胃が痛いわたしは、
家籠りして書類の山と闘いました。
のつづきです。
※昨日の「学びの7つの掟」のうちのその1から。
学びの掟(その1)コミュニケーションを学びの中心に据える
学びとコミュニケーションは切り離せない
人は成長して言葉を扱えるようになると、
言葉を通じて学ぶ力を身につける。
そしてやがて、言葉による学びが中心的な方法となっていく。
たとえば、本を読む、講義を聞く、文章問題を解く
といった行為は、いずれも言葉を介した学びである。
こうした方法によって、
体験だけでは到達できない広く高度な知識を、
効率よく身につけることが可能になる。
外国語の習得や複雑な数学の理解も、
記号や文法といった言葉のしくみを用いた
コミュニケーションの延長にほかならない。
このように考えると、学びとは
本質的に言葉を用いたコミュニケーションであり、
人間の学びからコミュニケーションを切り離すことはできないと言える。
学びは受け身では深まらない
一般的な学校教育では、
学びといえば、教科書を読み、授業で先生の話を聞き、
新しい知識を覚えることが中心だろう。
ひとりの教師が多数の生徒に効率よく知識を伝える方法としては、
きわめて合理的な仕組みである。
しかし、言葉を使った学びは「読む」「聞く」「覚える」
だけで十分とは言えない。
コミュニケーションが「話す人」と「聞く人」によって
成り立つように、
学びも受け身のままでは深まらない。
聞いた内容を振り返って整理したり、
読んだことを自分の言葉で言い換えてみたり、
理解できない点を質問したりする。
こうした能動的な言葉の使い方こそが欠かせないのである。
学びを広げる「生身の他者との対話」
能動的なやりとりを伴うコミュニケーションは、
知識の欠けを補い、理解を深める。
さらにコミュニケーションには、
情報や知識の不足を埋める以上に重要な役割がある。
それは、人と人を結びつけ、
あなたの学びを、ひとりの努力だけで得られる知識や
技術の範囲を超えて広げていく可能性を持つことである。
もちろん、コミュニケーションには相手が必要だ。
その相手は教科書やインターネットのように、
ただ情報を与えるだけの存在ではない。
あなたを観察し、理解し、力になろうとする生身の人間である。
その人との関りは、あなたの話し方や思考、
日々の生活のあり方、
さらには人生の方向性にまで影響を及ぼしていく。
自分自身との対話から始める
まずは、最もハードルの低い「学びのコミュニケーション」
から始めてみよう。
それは自分自身と対話することである。
どのようなトピックでもかまわない。
今日聞いたり学んだりしたことを、
自分の言葉で文章に書き表してみよう。
ここでは、聞いたり体験したりした内容を、
自分の言葉で掘り下げて表現することを目指す。
聞いた内容をそのまま書き起こすだけなら比較的容易かもしれない。
しかし、それを自分の言葉にしようとした瞬間、
難しさに気づくはずである。
この難しさこそ、言葉から得た情報の不足に直面する瞬間である。
言葉としては理解しているつもりでも、
肌感覚として腑に落ちないなら、
その言葉がまだ自分のものになっていない証拠である。
まず、頭に浮かんだ疑問点を書き出すことから始めよう。
疑問を書き出すことで、どの情報が欠けているのか、
また逆にどこまで理解できているのかも明らかになる。
こうして疑問を洗い出す作業は、
次に自分以外の誰かと対話するときにも大いに役立つ。
他者との対話で学びを深める
次のステップは、だれかを相手に「学びのコミュニケーション」
に挑戦することである。
「学びのコミュニケーション」では、
単に情報をやり取りするだけでなく、
相手が関心を持てる話題を選び、伝わる形で語ることが大切だ。
たとえば、まず重要になるのが「話題の引き出し」
を持ってるかどうかである。
どのような人と、どのような場面で出会うかわからない中では、
会話の糸口を見つける力が求められる。
ケンブリッジの先生たちが
天気や食べ物の話題をよく口にするのは、
それが誰にとっても話しやすい共通の話題だからである。
また、自分の勉強や仕事について話すときも、
専門的な内容に偏り過ぎず、
誰にでも理解できる例を用意しておくことが重要となる。
こうした工夫によって、
コミュニケーションは単なる会話にとどまらず、
互いに学び合う豊かな時間へと変わっていく。
「理想の家庭教師」のような学びの環境をつくる
誰かと会話を交わし、質問し、
ときには助言を与えたり受けたりしながら学ぶ方法は、
非効率に見えるかもしれない。
思いどおりに話が進まず、誤解やすれ違いが生じることもある。
それでも対話を重視する理由は、
人との関係の中にこそ学びの本質があるからである。
私たちの学びの多くは「言葉」を通して行われるが、
その言葉は決して万能ではない。
使い方を誤れば、大きな誤解や重大な判断ミスにつながることもある。
しかし、言葉を巧みに扱えるようになれば、
その力は計り知れない。
学びの速度や効率が大きく高まるだけでなく、
想像をはるかに超える地点へ到達する可能性も出てくる。
そして、言葉を上手に使うとは、
多くの本を読んだり数多くの授業を受けたりすることだけを意味しない。
受け身ではない、
能動的なコミュニケーションを実現することである。
それは、あなたを深く理解し、
必要な知識を最適なタイミングで示してくれる
「理想の家庭教師」がそばにいる状態に似ている。
言葉とコミュニケーションを巧みに活用すれば、
自分の学びの環境を、理想の家庭教師のような存在へと
変えていくことができるのだ。
つづく・・・。
明日は9時から「ゆのごうマルシェ」だよ~。
学びとは本質的に言葉を用いたコミュニケーション。
人間の学びからコミュニケーションを切り離すことはできない。
今まさに学びの中にいる人はもちろん、
わたしのような年をとってこそ学びを生活に取り入れたい
と考えている人に勇気の種をもらえる1冊です。
では、また明日^^



