こんばんわ![]()
雪がチラつく今日は、おばあちゃんの月命日。
昨日がおじいちゃんの。
まとめて今日お墓参りしました。
7・8年前にもらって植えたけど
咲いたことのなかった蝋梅が初めて咲いてました。
いい匂いです![]()
午後からGさんの施設に
契約書のサインをしに行きました。
いろいろと変っていることが多くて、
政治の後退を痛感しました。
養老孟司著ー2024年11月発行ー。
平成で一番読まれた新書は『バカの壁』だそう。
「壁」シリーズは累計700万部突破の大人気。
その養老さんの最新作でテーマにするのは「人生」。
わたしの母と同い年の養老さんは、
今年米寿をお迎えになる。
「自分の人生も残り少なくなった」と語る養老さんが、
青年のこと、世界のこと、そして日本のことを考えていく。
子どもの壁
子どもを上手に放っておきたい
少子化が大きな問題となっている。
少子化が進めば国全体に
大きな影響があるのは言うまでもないが、
出生数よりも心配なのは子どもの自殺の多さだ。
2023年の日本人の10~30代の
死因のトップは「自殺」。
若い世代の死因で病気が少ないのは当然ではあるが、
他国と比べて事故より自殺が非常に多いのが
特徴だ。
若い世代にここまで自殺が多い社会は
健全とは言えない。
若くして健康の問題を抱えている人もいるが、
基本的には活力にあふれ、
人生で一番楽しい思いをしていなければ
ならない時期であるはずなのに、
死にたくなるような思いをしている子どもが多い
ということなのだから。
虐待などの明らかな問題がない家庭であっても、
子どもにとって本当に良い環境をつくれているかを
本気で考え直さなければならない。
いまの子どもたちは習い事が多くて忙しいとよく聞く。
親は手間やお金をかけて子どもを大切に
していると思っているかもしれないが、
あれこれ習わせれば子どもが良い方向に
育つというのは幻想ではないだろうか。
乱暴に言ってしまえば、
子育てにあたって親が気を使うべきは、
子どもを危ない目に遭わせないことと、
食事をちゃんと与えることくらいである。
子どもに手をかけたほうがいいという錯覚
著者の世代は、
親に手をかけて育てられたことのない人が
ほとんどだ。
こう言うと、「時代が違う」
と思われるかもしれないが、
時代が変わっても変らないことは多くある。
水泳やピアノのように、
習わないと身につかないことを習う意味は
たしかにある。
だが、それらの英才教育をしたからといって、
みながプロフェッショナルになるわけでは
ないことはわかりきったことだ。
小泉英明さん(日立製作所名誉フェロー)は、
長年子どもを対象にした「コホート研究」に
取り組んでいる。
コホート研究では、同じ人を長期間追跡して調査し、
何らかの要因と結果を検討することができる。
一人だけの変化を見ても意味がなく、
統計的に意味のあるデータを取るには数千人を
対象に長期間調査をしなければならない。
手間も予算もかかる研究だ。
小泉さんによれば、
1,2歳くらいまでに褒めて育てた子どもと
そうでない子どもでは、
その後の社会での能力に差が出たそうだ。
乳幼児期には、褒めて育てられるのが
非常に大切だということだ。
一方で、「お受験」のような教育をすることは
決して勧められないという。
著者の実感としても、
早期英才教育やプログラミング教育は
あまり良いものだとは思えない。
時代が変わっても、
テクノロジーが急速に進展しても、
ヒトの脳のつくりは変わっていない。
これを考慮に入れておかないと、
はなから無理のある能力開発を目指すことに
なってしまう。
子ども時代は大人になるための準備期間ではない
いまは子どもを大切にしているというが、
昔のほうが子どもを大切にしていた面もある。
昔は子どもが病気で頻繁に亡くなっていた。
子どもはいつ死ぬかわからないと
思っていたからこそ、
いまのうちに好きなだけ遊ばせてあげようと
考えていたのだ。
いまは子どもの時期を、
大人になるための貯金の時期のようにとらえている。
それは子どもを大人の予備軍としか
見ていないのではないだろうか。
子どもには子どもの人生があり、
その毎日はとても大切なものだ。
これが子どもを大切にする基本ではないだろうか。
近頃では子どもに対して
「早く大人の世界に関われるようになりなさい」
と教え込む教育が主流になり、
子どもの頃から大人の世界のルールを
叩き込まれる。
こうした圧力が強くなることが、
若い世代に良いことだとは思えない。
食事、運動、睡眠といった生き物としての基本を
大切にすることのほうが、
英才教育よりもよほど重要だ。
親は
「自分がこれだけ手をかけたからいい子になった」
と思いたいのかもしれない。
だが、子どもは自然のものなのだから、
基本的には勝手に育つという視点を
忘れてはならない。
手をかけたほうが良い結果になると考えるクセは、
あらゆる場面で見られる。
だが、努力と成果は安易に結びつけないほうがいい。
偉業を成し遂げた人と同じ量の努力をしたからといって、
同じ成果を得られるという保証は
まったくないのだから。
青年の壁
世の中で確かなものとは何だろう
著者が大学で解剖学を学んだのは
「確実さ」があったからだ。
それは、収入の安定とか、社会的な評価だとかが
あるという意味ではない。
解剖学が、確実な学問分野であると
感じられたという意味だ。
著者は小学校低学年の時、
敗戦によって世の中はひっくり返った。
昨日まで絶対正しいとされていた教科書に、
正しいことを教えていたはずの先生が、
墨を塗れと言う。
大人の言っていることはウソだ。
言葉は信用できない。
そんな経験をして、世の中で確かなものは
何だろうと考えずにはいられなかったのだ。
自然はウソをつかない。
わからないことがあっても、
それは自然のせいではない。
解剖学は基礎研究であり、
解剖学をやったところで潰しはきかないが、
学問としていきなりひっくり返るような
ことにはならない分野でもある。
解剖で相手にするのは生き物の死体で、
変りようがないのだ。
お金とは一定の距離を置きたかった
解剖学を学んだもう一つの理由は、
学生時代に見た東大病院で働く医者たちが、
みんな機嫌が悪そうだったということもある。
あんなに幸せそうじゃない人たちばかりの
ところに行きたくないと思ったのだ。
金を稼ぎたいと思ったら、
医者を目指したほうが「得」であったのだが、
当時は今ほどお金が価値の中心になかった。
東大教授がタクシー運転手より
安月給でもおかしくない、
そんなふうに社会的な地位や名声とは関係なく、
身を粉にして働いていた人が報酬を得ていた
時代でもあったのかもしれない。
ある時から、身体を使って社会を回すのに
必要な仕事をしている人たちに
わざわざ名前を付けて、
「エッセンシャルワーカー」と呼ぶようになった。
こうした人たちがやっている仕事が
本質的であることは当たり前であるのに、
特別なもののように扱わなければならない社会に
なってしまったということだ。
本質的な仕事をしている人たちの
収入が上がらないのに、
東京のデスクワークをしている人たちのほうが
大金を得て、格差が広がっている。
この状態は、不健全ではないのだろうか。
つづく・・・。
人生で壁にぶつからない人など存在しない。
問題はそれにどう対処するか。
「人生の壁」を乗り越える特効薬を
提示しようとしているわけではない。
自分こそが他人の人生の「壁」に
なっているのかもしれない。
結局、人生は厄介なものなのだそう。
いまを懸命に生きていこうと思います。
では、また明日^^




