こんばんわ![]()
今夜は満月ですよ。
国によってはスーパームーンのところもあるでしょうね。
何かを始めるなら今日からですよー。
(と、自分に言い聞かせる
)
ここ最近、いい年をしたオッサンが引き起こす不祥事が多いです。
電車や病院などで騒いだりするオッサンも増えているそうです。
本来は人間として成熟しているはずのオッサンが、なぜ劣化してしまったのか?
そういう問題提起から始まる本を、これまた興味津々で読みました。
劣化して社会の害悪となってしまった「オッサン」が量産される構造的な問題について、
数々のベストセラーを生み出してこられた山口周氏は、
人文科学的な知見をもとにその原因を分析し、解決策としての処方箋を提示されています。
なお、この本の中で言うところの「オッサン」とは、
いわゆる「オジサン」と呼ばれる世代の人たち全員を指しているわけではありません。
古い価値観に凝り固まって、過去の成功体験にとらわれ、
謙虚さや学ぶ姿勢を失ってしまった人たちこそが「オッサン」なのだと。
オッサンの定義
本書における「オッサン」とは、年代や性別にかかわらず、
次のような行動様式・思考様式をもった「特定の人物像」を指す。
①古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する。
②過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない。
③階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る。
④よそ者や異質なものに不寛容で、排他的。
したがって、中高年の男性でもオッサンに該当しない人がいる一方で、
傍若無人な振る舞いで自らを省みることのない人はオッサン化しているといえる。
「知的真空の時代」を生きたオッサンたち
20代の頃、どんな時代を過ごしたかによって、その後の人格形成は大きく変わるもの。
2018年時点で50代・60代のオッサンたちは、
「大きなモノガタリ」の中で20代を過ごした最後の世代である。
「大きなモノガタリ」とは、
「いい学校を卒業して大企業に就職すれば一生豊かで幸福に暮せる」という、
バブル崩壊前に蔓延していた幻想のこと。
オッサンたちはこの「知的真空の時代」に若手時代を過ごしており、
「大きなモノガタリ」に順応することが、自己の便益を最大化する最も合理的な手段だと考えていた。
だがその後、「大きなモノガタリ」は喪失。
代わりに、「新しいモノガタリ」として、
「グローバル資本主義下における弱肉強食の世界」が支配的になった。
ゆえにオッサンたちが、社会や会社に対して「裏切られた」と恨みを抱えることになったのも、
うなずけるところではある。
組織は劣化する宿命である
人材に一流、二流、三流があるとするなら、最も出現率が高いのは三流。
組織を起業して発展させることは、一流の人材にしかできない。
しかし組織が成長していくと、人材が増えていくと同時に、三流の人材が幅を利かせるようになる。
なぜなら三流は、一流が見抜けないので二流におもねり、
二流は一流を見抜けるものの疎んじるためだ。
だから一度でも二流がトップに立つと、それ以降はよほどのことがない限り、
その組織に一流の人材が入ってくることはない。
そして人材のクオリティは世代交代するにつれて、三流ばかりになっていく。
組織が大きく古くなればなるほど、この劣化はより顕著にあらわれる。
このような経時劣化が重なり、日本の多くの組織で問題が起きているのだ。
武器は「オピニオン」と「エグジット」
劣化した「オッサン」に立ち向かうには、
「オピニオン」と「エグジット」を武器として使いながら、
社会で権力を握るオッサンに圧力をかけていかなければならない。
「オピニオン」とは、
おかしいと思うことにおかしいと意見すること。
「エグジット」とは、
権力者の影響下から離脱すること。
「オピニオン」も「エグジット」もしないということは、
オッサンが自分の人格や人望を勘違いする土壌を育んでいるという意味で、
不祥事に加担しているのと同じである。
とはいえ、
「オピニオン」や「エグジット」の行使は、ややもすると自分のキャリアを
危険にさらすことにもなりかねない。
ゆえに、汎用性の高いスキルや知識などの「人的資本」と、
信用や評判などの「社会資本」を厚くして、流動性を高めていくことが、
リスク管理上は不可欠になる。
流動性=「モビリティ」はこれから先のキャリア形成における最重要キーワード。
これまでスキルや知識の獲得は、会社という枠組みの中で行われるケースがほとんど。
これからは、どんな場所でも生きて行けるように学び続ける意識が欠かせなくなってくる。
年長者は敬うべきか
年長者とイノベーション
日本には「年長者は尊敬すべきである」という暗黙のルールがある。
しかし年長者ほどスキルや判断能力が高いというデータは実のところ存在しない。
儒教文化に根差した「信仰」だといえる。
オランダの心理学者ヘールト・ホフステードがおこなった調査結果によると、
日本は「年長者に対して反論するときに感じる心理的な抵抗の度合い」が
相対的に高い国として分類されている。
一方でイノベーションランキングの上位に来るのは、年長者に対して反論しやすい国ばかり。
画期的なアイデアを生みだすのは、「若い人」や「新参者」であることが多い。
権力を年長者が握ってしまうと、
「若い人」や「新参者」の直接の発言権や資源動員の権力がなくなってしまう。
その結果、なかなかイノベーションが起きなくなるのである。
年長者の価値がなくなっている
それでも「年長者は敬うべきだ」という規範は、合理性を超えたところで
それなりに支持されてきた。
これは長い間、年長者が組織やコミュニティにとって一種のデーターベースの役割を
担ってきたからだと考えられる。
しかし20世紀後半以降、年長者の持つ価値が失われる3つの変化が発生している。
①社会変化スピードの高速化
ライフスタイルの変化スピードがどんどん速くなり、
それまで年長者が時間をかけて培ってきた知識や経験が、すぐに陳腐化するようになった。
私たちが今向き合っている問題は、年長者にとっても若者にとっても新しい問題だ。
そして、新しい問題に対する解決能力は、むしろ若者のほうがすぐれている。
②情報の普遍化
現在はあらゆる情報に対して、いつでもどこでも誰でもアクセスできる社会に近づきつつある。
その影響を受けて、データーベースとしての役割を担ってきた年長者の価値は、
相対的に下がっている。
③寿命の増進
平均寿命が短かった時代には、貴重な経験値を有している年長者が重宝された。
しかし平均寿命が飛躍的に伸長し、年長者の人数が増えてくると、
年長者が有していた知識や経験の希少価値は目減りしてしまう。
以上の理由から、
「年長者ほど能力も見識も高い」という前提は、これからの時代では成立しない。
武器としての「教養」を身につけよ!
年長者の知的パフォーマンスを劣化させない方法がひとつ。
「劣化しない知能を身につける」こと。
これから「オッサン」がリーダーシップを発揮して社会に貢献するためには、
若手に対して深い思考を促すような、本質的な問いかけができるようになること。
そのためには「教養」が不可欠。
旬の短い知識ではなく、長い間有用な知識や情報を身につける努力をすべきだ。
私たちの成長は「経験の質」、
すなわち「新しい経験の密度」によって大きく変わってくる。
多種多様な人たちとともに、さまざまな仕事をバラエティに富んだやり方で取り組むという
「経験の多様性」が、良質な体験をもたらし、深い学習へと導くだろう。
年を取っただけで老いることはない。
いくつになっても創造的でパフォーマンスが落ちない人は、
常に目標をもってチャレンジし続けている。
劣化したオッサン社会に対する最もシンプルな処方箋は、
私たち一人ひとりが謙虚に新しいものを学び続けるということなのである。
https://dreamcompasses2.blog.so-net.ne.jp/2018-10-21
尾鼻のオッちゃん、ぜひ湯郷温泉にもつかってから帰ってね。
では、また明日^^
![]() |
劣化するオッサン社会の処方箋 なぜ一流は三流に牛耳られるのか (光文社新書)
821円
Amazon |
![]()
あなたが50代以上であれば、「自分がオッサン化していないか」を。
50代未満であれば、「オッサンのような思考回路に陥っていないか」
を確認するためのリトマス試験紙として読んで欲しい1冊です。
オバチャンもがんばるから、オッサンもがんばってね(^_-)-☆

