また | ふーちゃんのブログ

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私のブログは、離れて暮らす子どもたちと孫たちに向けて書いています。

こんばんわ星空
 
 
今日もうちのカフェディパッセロに仲良しのお客さまが、仲良しさんをお連れ下さって、
楽しいひと時を過ごしました。
 
「また会いましょう」「また来てね」。
そんな形で使われる「また」
 
「また雨だ」「海または山に行く」、そんな風にも盛んに使われる「また」
わたしたちは意識せずに口にしていますが、
辞典によると、もともとは人の股、二股などの「股」だということらしいです。

 

 

午後からおばあちゃんに会いに行きました。

施設前のヤギさんに必ず挨拶をいたします。

わたしの秘かな楽しみでございます。

また会えたね芽

 

 
 
このヤギさんは、毎度のこと「なんかくれくれ」とアピールします。
 
 
 
 
飼い主はどなただか知りませんが、怒られたらいけないからわたしは何もあげません。
白いヤギさんは、いつもお姫さま座りをしてほほ笑むだけです。
 
 
 
 
またが股?
えーなんで!?と思います。
 
「海または山」に関しては、この概念を絵で表わすと納得できるそうです。
最も分かりやすいのは、二股に分かれた道の先に海と山がある図。
想像してください。
ほら、海と山を「股」がつないでいるでしょう?
 
難しいのは「また会おう」「また雨だ」のほう。
すなわち「再び」という意味が生まれた理由ですが、
高橋こうじさんは最近「飛び石」を心に浮かべて理解しているそうです。
 
飛び石の上を着実に歩こうとすれば、
一歩ごとに、二つの石に足を乗せる瞬間がありますが、
それは前後の石を「股」という橋で結ぶ瞬間とも言えるそうです。
 
昔の人は、人生における経験のくり返しをそんな風にとらえ、
それで、ある経験を踏まえて次の経験を思うときに
「また」という言葉を使ったのかもしれません。
 
このような確かめようのない話を、高橋こうじさんがされたのは、
このイメージが高橋さんの「元気の素」になっているからだそうです。
 
股の先の両足で、過去と未来を感じながら歩む。
この意識を持てば、人生の続く限り成長できるということなのですと。
 
 
帰らないでと訴えるおばあちゃんの腕を職員さんに託して、
「また来るからね」と施設を後にしました。
 
股の先の両足で一歩づつ大地を踏みしめながら。
2匹のヤギは小屋の前で、
飼い主さんにもらったエサを無心にほおばっておりました。
わたしに見せる股の上のお尻の穴がかわいかったですラブラブ
 
 
では、また明日^^
 
 
日本には漢語と外来語、そして生粋の日本語「大和言葉」
大きくわけてこの三つがあるということすらよく知りませんでした。
日本語っていいなあと思える本です。