私はウォーキングが好きだが、
それは健康のためでも
ダイエットのためでもなく、
ただパンパンに膨れ上がった
頭の中の思考を
強制終了させるための手段の一つだ。
もし本当に運動が好きなら、
今頃部屋の中で狂ったように筋トレをして
ガリガリに痩せ、引き締まっているはずだ。
残念ながら現実の私は相変わらず
運動嫌いのままである。
流れる現実の景色を背景として
ぼーっと眺めながら歩くことで、
ようやく頭の整理ができるのだが、
このリフレッシュ時間には
「夜道の恐怖」という
大きな壁が立ちはだかっていた。
私の頭の中は、放っておくと
常に言葉や思考が
ぎゅうぎゅうに詰まって
破裂しそうになる。
だからこそ、定期的に外の空気を吸って
頭をすっきりさせたくなるのだが、
先日、しげちゃんお勧めの
ヘッドスパの専門店に行ってきた。
そのサロンの話は何度か
しげちゃんから聞いていた。
その度に毎回、
初めて話すかのような温度感で
どれだけ凄いのかを、感動しながら
しげちゃんは話してくれていた。
その勢いでしげちゃんは
私の分まで予約をしてくれて、
流れるまま指定された日に
行くことになった。
そこで、自分の体に起きている
恐ろしい事実に気がついた。
これまでも美容院のついでに
ヘッドマッサージを
してもらったことは何度かあった。
だが、そのたびに担当の美容師さんから
「冨田さん、頭の頭皮が固すぎて
指が全く入っていきません」と、
まるで石を触っているかのような
トーンで驚かれていた。
今回のサロンは
頭のケアを専門にやっている。
少しは違う見解をもらえるかと思いきや、
結果は全く同じだった。
それどころか、施術が始まった瞬間に
「これは……だいぶガチガチすぎますね」と、
深刻なレベルで心配されてしまった。
私はてっきり、
毎日色々なことを
考えすぎているせいで
脳の血管か何かが収縮し、
物理的に頭が
硬くなっているのだと思い込んでいた。
しかし、プロのセラピストの
分析は違った。
「考えすぎていること自体よりも、
考え込んでいるときに無意識に
奥歯をもの凄く強く食いしばっているのが
原因だと思いますよ」と言われた。
確かに、
考えすぎて頭皮がダイレクトに
硬くなるという体の構造は、
いまいちピンとこない。
それよりも、
何かを深く考えているときに、
顎に力が入り、その食いしばりによって
顔の側面から頭の筋肉までが引っ張られ、
結果として頭全体がガチガチに
凝り固まってしまうという流れのほうが、
圧倒的に納得がいく。
そう指摘されてから、
日常生活の中で自分の顎に
意識を向けてみると、
衝撃的なことに気がついた。
文章を書いているとき、
パソコンの前でぼーっと考えているとき、
何かに激しく集中しているとき、
私は面白いほど綺麗に
右の奥歯をグッと噛み締めていたのだ。
誰と戦っているわけでもないのに、
ビンタが来るのを
構えているわけでもないのに、
私の口内は常に緊迫した状態だった。
サロンの方から
「気がついたときには、
ふっと力を抜いて
緩めてあげてくださいね」
と優しい言葉をもらい、
私はようやく自分の顎の緊張を
意識的に解除するようになった。
そして話は戻るが、
私の頭の中を整理するための
ウォーキングについてだ。
頭がパンパンだから
歩きたい、というのは、
自分の意思で計画するというよりも、
「あ、今すぐ外の空気を
吸いながら歩きたいな」
という感覚になる。
そういう時は集中しすぎて
脳を休めたい時だ。
しかし、
私が好むウォーキングには、
非常にめんどくさい独自のルールがある。
私は、夜の薄暗くなった時間帯にしか、
外へ歩きに行きたくないのだ。
家の中にウォーキングマシンを置いて、
部屋の中で
足を動かせばいいという問題ではない。
外の景色を、ただぼーっと、
それを「物」として認識するのではなく、
流れる背景として眺めながら歩くからこそ、
脳がリラックスし、整理整頓ができ
アイデアだってふと湧いてきたりもする。
これが昼間だと、
視界が良すぎるせいで
余計な情報が大量に
目に飛び込んでくる。
すれ違う人の服装、表情。
目に入るだけで、
勝手に私の中でありもしない
物語を作り上げ
一人で笑ってしまう。
新しくできた看板の文字、
車のエンジン音、
すれ違いざまに聞こえる他人の雑談。
それらの情報が、休ませたいはずの脳内に
土足で侵入してきて、
逆にもの凄いストレスになってしまう。
そうなると、
ウォーキングに出かけること自体が
億劫になってしまうのだ。
だからこそ、
視界に入る情報量が適度に間引かれる、
薄暗い時間帯がベストなのだが、
ここにも罠がある。
夕方の薄暗い時間だと、
今度は駅へ向かう人や
帰宅ラッシュの波に巻き込まれ、
人が多すぎて別のストレスが溜まる。
消去法で考えていくと、
みんなが家に帰って
街が落ち着きを取り戻した、
夜9時過ぎが私にとって
一番安心して歩ける時間帯
ということになる。
だが、夜の9時過ぎに、
女性が1人で外を歩くというのは、
正直に言って普通に怖い。
街灯があるとはいえ、
暗闇の夜道には、
昼間には存在しない
独特のスリルと不気味さが
漂っているからだ。
この前、しげちゃんと一緒に
夜の散歩をしていたとき、
前方から一人のおじいさんが
フラフラと歩いてきた。
その歩き方が、なんというか、
お世辞にも健全とは言えない足取りで、
まるで懐に刃物でも
隠し持っているのではないかと
思わせるような、
精神的にちょっと
異常な雰囲気をまとっていた。
緊張しながらすれ違いざまに
その人をチラッと観察してみたら、
どうやら不審者ではなく、
認知症を患っている
お年寄りのようだった。
あのおじいさんは、
自分の意思で外に出たくて出てきたのか、
それとも本人すら状況が分からず、
夜の街に迷い込んでしまったのだろうか、
と切ない気持ちになった。
しかし、同情はできても、
夜の暗闇の中で
「向こうからやってくる人が、
一体どういう状態の人間なのか」が
こちらで瞬時に判断できないというのは、
恐怖以外の何物でもない。
夜の散歩は脳をスッキリさせてくれる
最高の時間だが、
常に背後に得体の知れない恐怖が
張り付いているという、
非常に悩ましい課題を抱えていた。
この「頭を整理するために歩きたいけれど、
外に出るのが色々な理由で怖い、
あるいは億劫になる」
という葛藤は、
日々頭をフル回転させて生きている人なら、
きっと深く共感してもらえるのでは
ないかと思う。
私たちは、
何か特別なことをしていなくても、
普通に生活しているだけで
脳をめちゃくちゃ働かせている。
特に現代社会は、
普通に道を歩いているだけで、
あらゆる広告や音の暴力が
襲いかかってくる。
昼間の散歩が
リフレッシュになるどころか、
脳の疲労を加速させる原因に
なってしまうあの感覚。
今は誰の顔も目に入らない、
静かで薄暗い空間に身を置きたい
と本能が叫ぶ気持ちは、本当によく分かる。
それなのに、
いざ夜の静かな時間を狙って
外に出ようとすると、
今度はリアルな治安の悪さや、
予測不可能な歩行者との遭遇という、
別ベクトルの緊張感が襲ってくる。
逆に不審者と
思われてしまう可能性もあるので
私は不審者ではない。
というアピールをすることにも
気を張っていなければならない。
せっかく頭を
空っぽにするために歩いているのに、
向こうからやってくる人影を見るたびに
「あの人は安全な人だろうか」と身構え、
奥歯をグッと食いしばってしまっては、
ヘッドスパの専門店で
心配されたガチガチの頭皮を
さらに強化しているようなものだ。
リフレッシュしに行っているのか、
それとも新しいコリを生産しに行っているのか、
自分でも時々分からなくなってしまう。
この夜道の恐怖を完全に解消し、
なおかつ誰も傷つけることなく
自分の身を守るための最高のアイテムを、
私はついに手に入れることに成功した。
ことの始まりは、しげちゃんが
仕事の事業所を持っている、
愛媛県の西予市(せいよし)
という場所にある。
西予市というと、聞こえは良いが、
しげちゃんの事業所があるエリアは
本当に、言葉を選ばずに表現して、
凄まじいレベルのクソ田舎である。
山の中にポツンと建物がある感じで、
何か買い物をしようと思って、
ちょっとコンビニまでと
軽い気持ちで出かけようとすると、
車で10分。
もし徒歩で行こうものなら
1時間以上かかるという、
車がなければ完全に
干からびる仕様になっている。
地元の人は一体どこで
日々の買い物を済ませているのだろうと、
不思議で仕方がない。
それほどの田舎だからこそ、
夜になると遮るものが何もないため、
空に見える星が
信じられないくらい綺麗に輝く。
しかし、星が綺麗に見えるということは、
つまり街灯が1ミリも存在しない、
完全なる漆黒の闇が
広がっているということだ。
そんな過酷な暗闇の環境だから、
そこら辺のホームセンターで
売っているような、
ぼんやりとした黄色い光を放つ
普通の懐中電灯では、
まったく歯が立たない。
光が薄すぎて、
足元の凸凹すら見えないのだ。
そのため、その事業所には、
工事現場の夜間作業で
高々と周囲を照らし出すために
使われるような、
コンパクトでありながら
もの凄い光量を放つ、
特殊な懐中電灯が置いてあった。
もうその事業所では
使わないからということで、
しげちゃんがわざわざ私のために、
自宅へ持って帰ってきてくれたのだ。
この懐中電灯が、本当にすごい。
スイッチを入れた瞬間、
夜の闇を鋭く切り裂くような、
目が痛くなるほどの圧倒的な白い光線が
真っ直ぐに伸びていく。
本来の目的は、車椅子ユーザーである
しげちゃんと一緒に夜道を歩く際、
道路の状態が暗くて分からないと、
車椅子が小さな段差に引っかかって
転倒してしまう恐れがあるため、
その足元を確実に明るく
照らし出すことだ。
その意味でも、
この強力なライトは
私たちの散歩に絶対に
欠かせない必須アイテムである。
しかし、私の頭の中では、
この頼もしい相棒に対して、
もう一つの極めて実戦的な
使い道が確立されていた。
もし、夜道を歩いていて、
前方から明らかに様子のおかしい、
やべえ奴が
こちらに向かって突進してきたとする。
その時、私はこの工事現場仕様の
強力な懐中電灯のレンズを、
そいつの目に向けて
思いっきり照射するのだ。
これほどの光量を至近距離で、
しかも暗闇の中で
ダイレクトに目に浴びせられたら、
人間は間違いなく一瞬で視界が真っ白になり、
激しい眩しさでその場にうずくまるか、
視覚が完全にフリーズするはずだ。
相手の目が眩んで、
視界が正常な状態に戻るまでには、
確実に数十秒の時間がかかる。
その、相手が「何も見えない!」
とパニックを起こしている隙に、
こちらはしげちゃんの
電動車椅子のスピードを上げて、
悠々とその場から逃げ切ればいい。
相手を殴るわけでもなく、
武器を使って
怪我をさせるわけでもない。
ただ、圧倒的な光の力だけで
相手の行動を完全に無力化し、
こちらは無傷で避難することができる。
誰も傷つけることなく、
自分の身としげちゃんの安全を
100%守ることができる、
これ以上ない最高の防犯アイテムだと
私は確信している。
この最強の武器を
片手に持つようになってから、
私の夜のウォーキングは、
恐怖のサバイバルから、
一気に心の平穏を取り戻した
安心安全な時間へと生まれ変わった。
もちろん、
この作戦を成功させるためには、
向かってきた相手ではなく、
間違えて焦って
自分の目に光を
直撃させて自爆するという、
最高にマヌケな操作ミスだけは
絶対に犯さないように、
ボタンの位置と向きだけは
常に厳しく指先で確認している。
頭の中のパンパンな思考を
流れる景色の中にそっと溶かし、
サロンの人の言葉を思い出しては、
右の奥歯の力をふっと緩めてみる。
私はこれからも、誰も傷つけない
最強の光線を手のひらに握り締めながら、
愛媛の静かな夜の暗闇を、誰よりも軽やかに、
そして面白がりながら歩き続けていく。
\メンバーシップを始めました/
ここは私が、飾らない言葉で記録する場所です。
ただ、私が「今、本当は何を考えているのか」を
自分自身で確かめるための、個人的な記録です。
https://note.com/webview/yasuyo_san/membership
■メルマガ「箸が転んでも」■
SNSの華やかな表面だけでは伝えきれない
「言葉の裏側」や、
私が日々クライアントの本質に潜り、
磨き上げている思考のプロセスや、
ちゃんとしていない私を曝け出している姿を
メルマガで赤裸々に綴っています。
https://fuka.email/page/12055.aspx
