インスタグラムを開くと、
画面の向こうから
見知らぬ人たちがものすごい熱量で、
身振り手振りをして語りかけてくる。
その人たちが一人きりの部屋で、
三脚に固定したスマホに向かって
必死にポーズを取ったり
喋ったりしている撮影風景の
裏側をふと想像した瞬間、
なんだか無性に笑えてきてしまう。
こんなことを言い出したら元も子もないのだが、
その小さな画面に人生の貴重な時間を
しっかりと吸い取られ、
夢中で指をスクロールし続けているのも、
他ならぬ自分自身である。
世界はものすごく広くて、
自分の知らないことの方が圧倒的に多い。
そこにはものすごい可能性が広がっている。
それは頭ではよく分かっているし、
決して否定するつもりはない。
ただ、ふとした瞬間に、
私たちはこの小さな四角い画面の中に
全員で押し合い、ぎゅうぎゅうになりながら
閉じこもっているのではないか、
と感じることがある。
例えば、インスタグラムの
検索ページを開いたときに
ずらっと並ぶ、おすすめ動画の数々。
そこには、ありとあらゆる
ジャンルの発信者たちが、
こちら側に向かって身振り手振りを使って、
ものすごい熱量で必死に語りかけている。
「これを知らないと人生損します!」
「今すぐこれをやってください!」
馬鹿にしているわけでは決してない。
本当に素晴らしい情報を届けてくれていることも、
これによって繋がれるはずのなかった
遠くの人と深く繋がれるメリットがあることも、
百も承知だ。
内容が良いとか悪いとかそういうことではなく、
その雰囲気を一歩引いて見てみると、
なんだかおかしくてたまらなくなる。
彼らはきっと、自宅の部屋の片隅や、
生活感がなるべく映らないように片付けた壁際で、
一人きりでスマホに向かって語りかけている。
あるいは、カメラの位置を何度も調整しながら、
何度も録り直しをして、
一人で満足したり悩んだりしている。
その、切り取られた画面の
すぐ外側にあるであろう、
誰の目にも触れない
孤独な撮影現場の日常を想像すると、
なんだか急に冷静になってしまう。
何で大の大人がこんなことに
ここまで一生懸命になっているのだろう、
と冷めてきてしまうのだ。
もちろん、これをすることで、
普段の生活では絶対に繋がれるはずのない
遠くの人と繋がれる。
たくさんの幸せや
メリットがあることも理解できる。
誰かを馬鹿にしているわけでもない。
それでも、なんか笑えてきてしまう。
そして、その画面から目を離して
現実の街に目を向けてみると、
そこにはまた別の光景が広がっている。
駅のホームですれ違う人は、
ほぼ全員がスマホしか見ていない。
前なんか見ていない。
電車の車内に至っては、
スマホを見ていない人の方が
何か変なことをしているかのように
思われそうなくらい、
みんなが一斉に画面に夢中になっている。
通路でぶつかりそうになったとき、
避けて歩かなければならないのは、
決まってスマホを見ていない側の人間だ。
画面に夢中で一切前を見ていない歩行者を、
こちらが気を利かせて、
まるで透明人間にでもなったかのように
避けて歩く。
彼らは一体、その画面の中に
何を見ているのだろうか。
何を見たいのだろうか。
以前、カフェで働いていたとき、
女子たち四人のグループが来店した。
せっかくおしゃれをして集まったのだから、
さぞかし楽しいおしゃべりが
始まるのだろうと思いきや、
席に着いた途端に全員がほぼ無言になり、
それぞれのスマホに夢中になり始めた。
誰一人として喋らない。
でも、一緒の空間にはいる。
一体何のために時間とお金を使って
ここに集まっているのだろうか。
私の中の人間データにはない出来事だったから、
不思議で仕方がなかった。
一人は好きだけど、
家で一人きりでいる孤独は嫌だ、
という複雑な現代人の
心理のあらわれなのかもしれない。
スマホ一台で何でもできてしまう
便利な世の中になったからこそ、
私たちは街の景色を楽しむことも、
その場の空気を肌で感じることも忘れ、
すべてをスマホの画面越しに
処理しようとしている。
その視野の狭さに、
何だか少しだけ寂しい気持ちになる。
ここまで偉そうに
世間のスマホ依存を観察しておきながら、
私自身がその仕組みのど真ん中に
どっぷりと浸かって生きている。
その焦りや、
やめたいのにやめられない気持ちは、
誰よりもよく分かっている。
私には、生産性が何一つない、
ただただ無駄だと分かっていながらやめられない
夜のルーティンがある。
夜、ベッドに入って、
インスタグラムやYouTubeを開き、
迷わず見てしまうのは、
何の役立つ情報も得られるわけではない、
見知らぬ人がただひたすら
ご飯を食べるだけの動画だ。
私はもともと少食なので、
たくさんの量の食べ物を、
キレイに美味しそうに
次々と平らげていく人を見るのが
純粋に好きだ。
こんな深夜に他人がおにぎりを
10個大食いするだけの
動画を見ていても、
何の情報も得られないし、
私の人生における生産性なんて
これっぽっちもない。
けど、画面の中の人が、
大きな山盛りの唐揚げや
ラーメンを美味しそうに
口に運んでいる姿を、
ただぼーっと眺めている時間が
楽しくてたまらない。
もっと好きなのは、ビールを片手に
たくさん豪快に、
しかもキレイに食べる人。
見ていて気分が良くなる。
私もこれくらいいけるんじゃないかと
錯覚させられる。
以前、あまりにもその動画が好きすぎて、
一度ショート動画を見出すと
止まらなくなることに
危機感を覚えたことがある。
本当はこんなことをしている時間は勿体無いし、
早く寝た方が健康にいいから、
もう見るのを本当はやめたい。
そう思って、友人に真剣に相談してみた。
するとその友人は、
私の悩みをじっと聞いた後、
こう言った。
「鏡を自分の目の前に持ってきて、
自分が食べているところを
見たらどうですか?」
とてつもなく雑な提案だった。
他人が美味しそうに
大量に食べているから面白いのであって、
少食の私が真夜中に一人で、
鏡に映る自分の地味な食事風景を見つめて
一体何が楽しいというのだろうか。
もちろん実行することもなく数ヶ月が経ったが、
今でも思い出すたびに、
その提案の雑さに笑えてきてしまう。
そうやって、やめたいと言いながら
毎晩指を動かして動画を見続けているし、
さらに言えば、私自身も
「画面に向かって一生懸命に話して
伝えている一人」なのだ。
さっきまで、これからどうやって
このSNSの画面を使って、
私らしく文章や動画を届けていくかを、
机の前で真剣に考えていた。
どうすればもっと伝わるか、
どうすれば必要としてくれる人に届くか、
そればかりを考えていたのだ。
私は時々、意識のカメラを
ぐーっと上空へと
引っ張り上げることにしている。
宇宙の果てから地球を眺めて、
その中のアジアという大陸の、
さらに日本という国の、
さらに愛媛県の松山市にある
マンションの一室。
そこにポツンと座って、
小さなスマホの画面を必死に見つめたり、
あるいは画面に向かって
熱弁を振るったりしている
「冨田恭代」という一人の人間を、
はるか高い視点から客観的に見つめてみる。
すると、やっぱり猛烈に笑えてくるのだ。
世界を広げるために、世界と繋がるために、
この何センチかしかない小さな画面に向かって、
必死になって文字を打ち込んだり、
声を吹き込んだりしている私の姿は、
客観的に見れば、
さっき私がインスタのおすすめ欄を見て
冷めてしまったあの人たちと、
何一つ変わらない。
必死になればなるほど視野が狭くなり、
すぐ目の前にあるリアルな生活や、
肌で感じられる心地よさを
そっちのけにしてはいないだろうかと、
自分に対して滑稽になる。
私の視野は、世界を広げるために
この小さな画面を使っているのだろうか。
それとも、この画面のせいで、
逆に世界をものすごく
狭くしてしまっているのだろうか。
私たちはもう、
スマホやSNSのない時代に
戻ることはできない。
これだけ便利な道具を
完全に手放して生きることは、
現実的ではないし、
その必要もないと思う。
大切なのは、画面の向こう側の世界に
自分の意識を
すべて支配されてしまうのではなく、
現実の感覚と、画面の中の世界を、
上手に行き来しながら
使いこなすことだ。
私は、友達や大切な人と会っているときは、
スマホを見ないようにしている。
なぜなら、その場の空気、
目の前にいるその人の表情、
その時にしか生まれない会話のテンポを、
五感のすべてを使って
その場でしか味わえないものとして
感じたいからだ。
画面の中には、
後からでもアクセスできる。
けど、目の前の人と過ごす
「今」という時間は、
巻き戻しがきかない。
SNSを使って文章を届けたり、
動画やラジオで発信したりすることは、
私にとって大切な表現活動だ。
だからこそ、画面の中の数字や、
他人の派手な発信に振り回されて、
自分が支配されていることにすら
気づかない状態にだけはなりたくない。
画面の向こうで
一生懸命になっている人たちの姿を、
ちょっと離れた高い視点から
「みんな必死で可愛いな」
と面白がれるくらいの
心の余白を持っていたい。
そして、自分自身の必死さも含めて、
全部を笑い飛ばせる軽やかさを
持っていたいと思う。
スマホの画面をスクロールする指を
たまにはピタッと止めて、
窓を開けて
愛媛の美味しい空気を吸ってみる。
便利さに振り回されず、
自分の足元にあるリアルな心地よさを
一番に大切にしながら、私はこれからも、
私にしか書けない言葉をこの小さな画面から、
世界へと届けていくつもりだ。
今夜もベッドに入ったら、
まずはスマホを置いて
目をつむる努力をしてみようと思う。
まあ、気づけばまた、
見知らぬ人がおにぎりを大食いする動画を、
指一本でスクロールしながら
朝を迎えているかもしれないけれど。
\メンバーシップを始めました/
ここは私が、飾らない言葉で記録する場所です。
ただ、私が「今、本当は何を考えているのか」を
自分自身で確かめるための、個人的な記録です。
https://note.com/webview/yasuyo_san/membership
■メルマガ「箸が転んでも」■
SNSの華やかな表面だけでは伝えきれない
「言葉の裏側」や、
私が日々クライアントの本質に潜り、
磨き上げている思考のプロセスや、
ちゃんとしていない私を曝け出している姿を
メルマガで赤裸々に綴っています。
https://fuka.email/page/12055.aspx









