トイレットペーパーを買うという強固なミッションがないと靴を履く気が起きないほど引きこもりが好きなのに、いざお洒落なカフェに行くと隣の席の人間観察に全エネルギーを注いでしまう。
例えばカフェで、会社の同僚でもなければ上司と部下でもない、絶妙な距離感で「ここまで来るのにどのくらいかかりました?」とお互いを褒め合うマッチングアプリ初対面カップルの、よそよそしさを耳をダンボにして聞き入っているうちに、自分の仕事は1文字も進まない。
そんな極度の人間観察中毒であり、重度の他人の気配に敏感すぎる私が、気づけば今、愛媛県松山市で24時間毎日違うヘルパーさんが常に出入りするプライバシーゼロの特殊な環境で、車椅子ユーザーのしげちゃんと暮らしている。
平穏と孤独を何よりも愛していたはずの私が、なぜこのような「常に誰かが家にいる空間」で、ストレスに白目を剥くこともなく笑って過ごせているのか。これまでの私を知る人が見たら、間違いなく「正気か?」と驚くと思います。
「優秀な店長」という仮面と、全部自分でやろうとする病
もともと私は、人に甘えたり頼ったりすることが絶望的に苦手な人間でした。23歳という若さで携帯ショップの店長を任されて以来、私の頭の中には「誰にも迷惑をかけず、すべての責任を一人で背負い、完璧な成果を出すことこそが正しい大人の自立だ」という、今思えばかなり極端なルールが居座っていました。
上司から降ってくる理不尽な売上ノルマも、部下たちの不満や愚痴も、全部自分の頭の中に抱え込みました。周りから失望されたくない、嫌われたくない、仕事ができる優秀な人間だと思われたい。そんな思いが強すぎて、他人が用意した「正解の店長」を演じるために、毎日役割の仮面を被り続けていたのです。
その結果、何が起きたか。
心と体はとっくに限界を迎えていました。仕事が終わってからは、職場の同僚や後輩、部下と飲み歩く日々。お酒が唯一の気を紛らわしてくれて、現実のことを忘れさせてくれる、癒しの時間だったのです。
仕事や家庭、夫婦関係の、誰にも言えない悩みやストレスから、過食嘔吐を繰り返す日々。トイレの床に座り込みながら、「一生このままなんだろうか。幸せってなんなんだろう。幸せとは特別な人にしか味わえないんだろうな。」と自分の人生をほぼ諦めていました。
当時の私は、人に「助けて」と言う方法すら知らなかったのです。がんばればできることは、いくら苦手で心が悲鳴を上げていても、歯を食いしばって自分でやらなければならないと思い込んでいました。
そんな「全部自分でやろうとする病」を完璧に手放すことができず、こじらせながら生きてきた私の前に現れたのが、ハワイのホノルルマラソンで出会った、首の骨を折って肩から下が動かない男・しげちゃんでした。
自立の本当の意味:自分ですることではなく、自分で決めること
しげちゃんと出会い、彼の生活を一番近くで見つめるようになって、私は生まれて初めて「自立生活」という言葉の本当の意味を知ることになります。
世間一般で言われる「自立」って、なんでも一人でこなせることだと思われがちですよね。
実家を出て一人暮らしを始め、掃除も洗濯も料理も買い物も全部一人で完結させて、誰の手も借りずに生きていける状態。かつての私も、それこそが目指べきゴールだと信じて疑いませんでした。
しげちゃんは、愛媛で自立生活センター「CIL星空」という組織の代表を務めています。この「自立生活センター」という場所が発信し、支援している「自立生活」の定義は、その真逆でした。
障がいを持つ当事者自身が運営し、どんなに重い障がいがあっても地域の中で自分らしく暮らしていけるようにサポートをする場所です。そして、彼らが何よりも大切にしている中心的な考え方が、まさにこの「自立生活」という仕組みなのです。
手足が動かないしげちゃんは、物理的に自分一人でお風呂に入ることも、ご飯を作ることも、服を着替えることもできません。けれど、彼は自分の人生のすべての決定権を、100%自分で握っています。
彼らが出した答えは、「自立とは、自分ですることではなく、自分で決めること」だったのです。
人生のハンドルを誰にも渡さない生き方
一般的な介護のイメージだと、あらかじめ決められた組織のスケジュールに沿って、「何時にご飯」「何時にお風呂」と、管理する側の都合に合わせて生活することが多いかもしれません。
施設や病院のような場所では、自分の意思よりも全体のルールやスケジュールが最優先になります。
いきたい場所があっても、やりたいゲームがあったとしても、周りの都合に合わせて、許可をもらいながら生きていく。それは、どれだけ安全で守られていたとしても、自分の人生のハンドルを誰かに渡してしまっている状態です。
しかし、自立生活センターが目指す「自立生活」は、他人の管理下ではなく、重い障がいがあっても一人の市民として社会に出て、自分の意思に基づいて日常生活を送ることを意味します。
朝、何時に起きるか。
今日の昼食に何を食べるか。
誰と会い、どこへ出かけるか。
どのようにお金を使い、どのような部屋で暮らすか。
障がいによって介助が必要な場合でも、それを「いつ、誰に、どのように手伝ってもらうか」を本人が判断して指示を出していれば、それは立派に自立した生活なのです。
彼らにとって「介助を受けて生きる」ことはゴールではありません。
介助によって移動や身の回りの動作を確保し、それによって得た時間や自由を使って、障がいのない人と同じように、本人が本当に望む活動に取り組んでいく。
一般企業で働いたり、趣味の旅行を楽しんだり、友人と交流したり、社会を良くするために活動をしたりする。
ヘルパーさんはあくまで「自分の手足」の代わりとして機能する存在であり、人生の主導権は、いつだって本人が100%握っているのです。
その様子を初めて目の当たりにしたとき、すごい!本当にすごい!と感動しました。学校でも教えてもらえない、人間が生きていくための本質を学べるのだから。もっと広がるべき活動だと、心底感じている毎日です。
人に頼ることは、強くてかっこいい行動
「人に頼るって、こんなに堂々と、クリエイティブにやっていいことなんだ」と。
これまでの私は、「人に迷惑をかけたくない」という綺麗事の裏で、本当は「できない自分を見せて失望されるのが怖い」という臆病なプライドを握りしめていただけでした。だから、どんなに苦手なことでも自分をすり減らしながら無理してやり続け、どこをどうやって他人に頼ればいいのかすら、分からなくなっていたのです。
しげちゃんを見ていると、もっと人に頼っていいし、むしろ素直に頼った方が、お互いの人生がうまく回り出すということが本当によく分かります。これこそが、本当の意味での「自立」なのだと思います。
そうやって周りを見渡してみると、世の中には本当の意味での「自立」ができていない人が、私を含めてめちゃくちゃ多いのではないか、と感じるようになりました。
外側の正解に合わせるのではなく、自分の意志を明確に持つこと。
自分の苦手なことや、できないことを「できない」と素直に認めること。
昔の私が、もしこの感覚を持っていれば、あんなに一人で抱え込んで自滅することはなかったはずです。
「これをお願いします」と相手に敬意を持って頼むこと。
これは、決して心が弱いからやるのではありません。自分が何が苦手で、何を必要としているかを正確に把握しているからこそできる、ものすごく強くてかっこいい行動だと思うのです。
素直に「助けて」と言える人の周りには、自然と人が集まり、お互いにできないところを補い合う優しいチームが出来上がっていきます。しげちゃんの日常生活は、まさにそのチームでした。
チームの境界線と、伝えなきゃ伝わらない価値観
もちろん、すべてをヘルパーさんに任せるからといって、しげちゃんが王様のように君臨しているわけではありません。
自分で決定した以上、もし何かがうまくいかなかったとしても、その結果の責任はすべて、そう決定した本人にあります。
どこからどこまでが自分の責任で、どこからがヘルパーさんの領域なのか。その境界線を曖昧にせず、毎日違うヘルパーさん一人ひとりと、言葉を交わしながらコミュニケーションを取り、信頼関係を築いていく。その姿は、一家庭の枠を超えて、ベンチャー企業の組織運営を見ているかのようにもみえます。
これまで色んな接客業を経験する中で、私は「自分の思い通りにいかない怒りを、目の前の店員のせいにして爆発させる人」にたくさん出会ってきました。これって、お店の中に限らず、私生活の人間関係でもよくあること。自分の中で何かが狂ったときに「私は悪くない、あの人のせいだ」と誰かを悪者にして自分の心を守り、外側に矢印を向け続ける人。
それをやり続えた先に待っているのは、大切な人との関係の崩壊と、自分自身の成長が止まってしまうという寂しさだけなのだと思います。
これって、職場の人間関係でも、夫婦間でも、どんなパートナーシップでも全く同じことが言えますよね。
「伝えなきゃ、伝わらない」のです。
いくら毎日一緒にいるからといって、隣にいる人は自分とは違う人間です。感覚も、育ってきた環境も、見てきた景色も、価値観も、似ているようで絶対に違います。だからこそ、面倒くさがらずに、言葉のキャッチボールをサボらないこと。それだけが、お互いを尊重し合うための唯一の道なのだと、毎日の生活からたくさんの気づきがあります。
普通じゃない生活が、私の「普通」になるまで
本当は、最近愛媛で始まった最高に面白くて、くだらない日常を今すぐぶちまけたいところです。
例えばしげちゃんと初対面から数ヶ月で、「初めて彼のデリケートゾーン(お◯ん◯ん)と対面した日」のなんとも言えない空気感。
他人の気配が1秒も消えない家で、どうにかして恋人同士の距離感を死守する私たちの涙ぐましい作戦。
さらには、しげちゃんの鼻の奥から出てきたクソでかい鼻くそを泣きながら摘出した話。
「うわ、臭っ!」と全力で悶絶しながら彼のうんちの重さを真面目に計量している、謎のミッションについて。など。
誤解のないように言っておくと、私は介助をしていません。プロのペルパーさんが完璧に支えてくれているからこそ、私はただのパートナー、ただの彼女として、普通のカップル以上にくだらないことで爆笑していられるのです。
愛媛に来てまだ3ヶ月足らずですが、この普通じゃないはずの生活が、早くも私の「普通」になりつつあります。その麻痺していく感覚が少し怖くて、今のうちにこの強烈な原液のような気づきを残すことに必死になっています。
配信内容はこれから、どうしてもどんどん濃くなっていくと思います。
毎日が初めてだらけのことで、これまでの私の人生では体験できなかったことばかりだから。
他人のマッチングアプリを覗き見して時間を溶かしていた私が、この部屋でどうなっていくのか、ぜひニヤニヤしながらお楽しみにしていただけると嬉しいです。
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ここは私が、飾らない言葉で記録する場所です。
ただ、私が「今、本当は何を考えているのか」を自分自身で確かめるための、個人的な記録です。
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