昔、本当に「どうした、私!?」
という気の迷いで入ったコミュニティで、
中身も読まない主催者の女性から
「文章が長すぎて誰も読まないよ」
とバッサリ切り捨てられたことがあります。
あの時の私は、穏やかな見た目とは裏腹に
「おいおい、こいつ何言ってんだ?」
という怒りの大花火が大爆発していました。
世間に溢れる
「こうすれば上手くいく」
という成功法則の皮を剥いでみると、
そこには自分を殺して息苦しくなるという、
本末転倒な罠が隠されているのです。
今の時代、ショート動画だ、
タイパ(タイムパフォーマンス)だと言われて、
とにかく「短く、わかりやすく、一瞬で」
が正義とされていますよね。
どこを見渡しても、世の中全体が
「考えたくない、時間をかけたくない、
手っ取り早く答えがほしい」
という、ものすごいスピードの渦の中にいるのです。
そうなると、真面目な人ほど
「そっか、短くしなきゃダメんだ」
「みんながやってるあの型を真似しなきゃ、
誰にも見てもらえないんだ」と思って、
自分の大切な言葉を無理やり140文字に縮めたり、
画面に向かって身振り手振りで
ハキハキ喋るテンプレに、
自分をギュウギュウにはめ込もうとします。
でも、そうやって自分の気持ちを無視して
誰かの成功法則をそのままなぞっているうちに、
だんだんと息ができなくなってくる。
発信すること自体がただの苦行になり、
パソコンを開くのすら嫌になる。
そんな風に、誰かが決めた「正解」という名の、
居心地の悪い狭い箱の中に自分で入って、
適応しなければと必死になってしまう。
これ、真面目に発信を頑張ろうとしている人にとって、
本当に深い「あるある」だと思うのです。
そんな私の書く文章は、
ご存知の通り毎回もれなく長文です。
大体2000文字なんて余裕で超えますし、
むしろ大幅に超えることの方が日常茶飯事。
私のプロフィールにいたっては、
文字数をカウントしたら
15,000文字ほどありました。
もはやちょっとした短編小説というか、
一冊の本が出せるレベルのボリュームです。
「この倍倍速の時代に、
こんな長い文章を一体誰が読んでくれるんだろう」
自分で自分にツッコミを入れながらも、
やっぱり気持ちを乗せて、熱量を100%伝えるには、
どうしてもこれくらいの長さが必要になってしまう。
それが私の仕様だからです。
でも、ありがたいことに、
私のメルマガやブログは
「普段は活字が苦手で本も読めないのに、
恭代さんの文章だけはなぜか引き込まれて
スラスラ読めちゃう」
「毎朝の日課で、読むのを楽しみにしてる」
と言っていただけることがたくさんあります。
読者の歩幅に合わせて、飽きないように、
迷子にならないように、
自分なりに必死で工夫して
書いているからです。
それなのに、です。
先ほどお話しした、
昔の気の迷いで入ったコミュニティでの出来事。
その主催者の女性は、
昔はブログでかなり有名だったらしく、
事あるごとに
「私、昔すごくブログで有名で〜」
と自分から言っちゃうタイプの人でした。
「自分で言っちゃうんだ……」
とちょっと笑えてきたんですけど、
それはいいとして。
その人が、私のブログを
大して読み込みもしないクセに、
ただ「文字量が多い」
という表面上の見た目だけで、
上から目線でこう指摘してきたのです。
「文章が長すぎる。
これじゃ誰も読まないから、
もっと短くしたほうがいいよ」
……あの瞬間、
「え!?何様!?」
と言ってしまいそうになったのです。
内容もちゃんと把握していないクセに、
外側だけで決めつけて、
なんでお前に私の譲れない大事な部分を
全否定されなきゃいけないんだ、と。
そのコミュニティはそもそも
文章を学ぶ場所でもないのに、
主催者だからって
すべてが正しいと思うなよ、と。
図々しさにも程があります。
でも、もしあの時、私が
「やっぱり実績がある人の言うことだから」
と自分を殺して、中身の薄い
短いブログに切り替えていたら、
今の私は絶対にいません。
他人の外側だけを真似して、
形だけ上手くいったとしても、
自分の心を無視したまま
苦しい状態でやり続けなきゃいけないなら、
そんなの絶対に続かないからです。
私がなぜ彼女の真似をしなかったのか。
それは、自分が絶対に譲りたくない、
大事にしたいものをどうやって活かしていくかを
考えていきたかったからです。
最近、新しくリール動画を作り始めたのですが、
ここでもやっぱり
「違和感」という名の妖怪が顔を出します。
まだ1本しか投稿していないのに、
すでに「なんか違う……」
とモヤモヤしている自分がいるのです。
SNSの画面を開けば、
カメラに向かって身振り手振りで、
ハキハキとテンポよく話している人が
数え切れないほどいます。
これが「リールの正解の型」なのでしょう。
私も「まずはこの形でやってみよう」と、
ある程度形を決めて動き出してみたものの、
いざやってみると、心が全然踊らない。
画面に向かって話している
無数の人たちの中から、
「これならできるかも」
というやり方を見つけて
真似してみるけれど、
「私はこういう風に喋りたいんじゃない」
「この見せ方は嫌だ」
という本音が、お腹の底から次々と
湧き上がってくるのです。
周りで「Aという方法」で
上手くいっている人がいるからといって、
私がAをやって上手くいくとは限らない。
逆に、他の人が
「Bというやり方は伸びなかった」
と失敗した方法でも、
私にはBのほうがカチッとハマるかもしれない。
それなのに、
世間の「成功法則」に自分を無理やり
当てはめさせようとして、
勝手に気を使いすぎて疲弊していく。
この「なんか違うのに、
どうすればいいか分からない」というループ、
本当によく分かりますし、
自分らしく生きたいと願う人なら
誰もがぶつかる壁ではないでしょうか。
じゃあ、どうすればいいのか。
私が体験から学んだ最大の解決策は、
その「違和感」から逃げて放り出すのではなく、
むしろその違和感をこれでもかと深掘りして、
自分を徹底的に追求することです。
「嫌だから、もうやめる」
「めんどくさいから、動画なんて作らない」
それはただの逃げであり、楽をしたいから、
怠けたいからという言い訳になってしまいます。
そうではなく、
「なぜ私は今、ここに
違和感を感じているんだろう?」
「どうしたらもっと楽しんで、
もっと良くなるんだろう?」
「目的はなんだったっけ?」
という問いから、
絶対に手を抜いてはいけないのです。
自分を深く掘り下げて知っていくというのは、
絶対にサボってはいけない部分だと
私は思っています。
リールを投稿すること自体は、
決してゴールではありません。
動画を投稿することによって、
「私」という人物やその考え方、
何を伝えていきたいのかを
分かってらうための、大切な目印です。
だからこそ、自分が楽しく、
熱量を持って続けられる伝え方を、
諦めずに、もっと良くするために
追求していく視点が絶対に必要です。
世間のマニュアル通りに動けない
自分の「不器用さ」を
責める必要は全くありません。
「じゃあ、私の仕様に合うやり方はどこにある?」
と、自分への追求を、
ニヤニヤしながら続けていけばいいのです。
違和感は、自分を困らせるために
起きているのではありません。
「そっちの道は、あなたの本物じゃないよ」
と教えてくれる、
最高に優秀なセンサーです。
私はこれからも、自分が一番楽しくて、
自分に一番合った伝え方にこだわって、
私の言葉を発信し続けていきます。
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ここは私が、飾らない言葉で記録する場所です。
ただ、私が「今、本当は何を考えているのか」を
自分自身で確かめるための、個人的な記録です。
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■メルマガ「箸が転んでも」■
SNSの華やかな表面だけでは伝えきれない
「言葉の裏側」や、
私が日々クライアントの本質に潜り、
磨き上げている思考のプロセスや、
ちゃんとしていない私を曝け出している姿を
メルマガで赤裸々に綴っています。
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