「よし、やる気が出たら動こう」
そう心に決めてソファーになだれ込み、 気づけばYouTubeで他人がおにぎりを 大食いするだけの動画を3時間見続けている。
画面の向こうで信じられない量のご飯が 次々と胃袋に消えてしていくのを、 私はただ無心で、半開きになった口で見つめていた。
この時、私たちの脳は 「やる気という名の奇跡」を待っている。
「あと5分したら、 エネルギーがみなぎってくるはず」
「この動画が終わったら、 シャキッと動けるはず」
そうやって都合のいい神頼みをしているけれど、 科学的な真実はその真逆。
動かない限り、 やる気なんて1ミリも湧いてこない。
自信も同じで、 最初から持っている人などおらず、 お尻に火がついて 泥縄で走り出した人間の後ろから、 息を切らせて遅れてついてくるものなのだ。
分かってはいる。 言われ尽くした綺麗事だ。
けれど、私たちは 実際に痛い目を見るまで、 この仕組みを信じようとしない。
火がついていない状態のとき、 人は「どうやって走り出したらいいのかわからない」 と本気で悩み始める。
結果として、部屋の隅でじっと座り、 いつかあの頃のように エネルギーがみなぎる日が来るのを、 遠い目をして待ち続けることになる。
心の中にじわじわと根っこが生え、 身動きが取れなくなっているにもかかわらず、 頭の中だけは 「明日の私はきっとすごい」 と現実逃避を繰り返す。
……そう、ただの 根っこが生えたゾンビ状態。
ここ数日、私はそのゾンビ状態をやめ、 じっくりと文章を書き、 自分を深掘りする時間を作ってみた。
パソコンの前に座るまでは 世界で一番面倒くさい作業をしている気分だったけれど、 いざ指を動かし始めると、 脳の引き出しが次々と開き、 時間を忘れて没頭している自分がいた。
やっぱり、楽しい。
私はどこまでいっても、 書いて生きていきたい人間なのだ。
けれど、ここで一つの疑問が浮かび上がる。
なぜ、私はあんなにも ソファーから動けなくなっていたのだろうか。
単なる怠け癖だろうか。
そうじゃなかった。
私が「動けない」の裏側で 本当に恐れていたのは、 作業の手間そのものではなかった。
その先にある人間関係の仕様と、 自分自身のめんどくさい優しさに、 無意識のうちにブレーキを踏まされていたのだ。
私は不特定多数の人と 広く浅く関わることが、絶望的に苦手だ。
それなのに、私の頭の中では、 ある思考の癖が暴れ回り、 勝手に疲弊するループを繰り返していた。
なぜ、友達が身震いするほど少ない私が、 それでも自分の名前でサービスを打ち出し、 真っ直ぐに走る覚悟を決めたのか。
「人と関わりたくない(ように見える)」私の裏側にある、 本気の覚悟の続きの内容はこちらから▼
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【続きの内容】
・ 100%の自由を求めて、他人の領域から一歩引く
・ 「みんな本当はいい人」という、めんどくさい優しさの罠
・ 「人と関わりたくない」の裏側にある、本気の覚悟
「動けない自分」に嫌気がさしている人、
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自分と合う人とだけ 出会っていきたいと願っている人にこそ、 届いてほしい。
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