先月だったかなぁ・・・
何かの感情で、
私はいっぱい いっぱいだったのですよ。
たぶん、
怒りとか苛立ちみたいな
いわゆるネガティブと呼ばれる感情ですね。
で、
その日、
そういった感情でいっぱいだった私は
もうどうしたらいいのか
爆発寸前のようなw
そんな自分が嫌で仕方なかったんだと思います。
トイレで・・・
また自分を責めていることで
自分にガッカリしてたんですよ、たぶん(なにゆえ、記憶力が^^;
そんな時、
この感情 が 私ではない。
そんな言葉を思い出しました。
あまりに感情に支配されていると、
自分という人間が
あたかもそういった人間だと
人は思い込んでしまうそうです。
こんなことを思うなんて
私はダメな人間だ、とか
(説明下手でスミマセン ^^; )
以前、
「 その感情は 私 ではない 」
その言葉を知ったとき、
それがどういう意味なのか
さっぱりわかりませんでした。
なので、
これは私の解釈なのですが、、、
例えば、
こんなことを思う私 は ダメな人間
などの
自分を責める声が
自分の中から上がってきたら、
「 その感情(私を責める声) は 私(真実の私) ではない。 」
こんな感じのニュアンスで
伝わるでしょうか^^;
簡潔に言ってしまえば、
「 それは真実の私ではない。 」
で良いのかもしれません^^
そうやって
自分を疑うことも必要な時はあると思います。
ふと立ち止まって
自分との対話の機会となるし。
疑うと否定は違うよね^^
私はこれが最初のひとつのキッカケとなって、
母へのわだかまりが消えていったのです。
赦せない時は
赦せなくていいのだと思う。
自分に対しても
誰かに対しても。
それはとても苦しくて
辛い時であって、
そんな自分の気持ちを一番わかってあげて欲しいし、
そんな気持ちを大切にして欲しい。
自分が納得する言葉に触れることが出来たら
人は優しく変わっていくことが出来る。
投げやりになったり
消えてしまいたくなったり
途方に暮れる事もあるかもしれませんが、
時が来たら
解けていきます。
変わりたい、と思う時は
中々思うような変化が感じられず
逆に自分を苦しめたりすることもあるけれど、
遠回りのその道が
一番あなたに必要な道だと
きっと振り返った時にわかるのでしょう。
そんな気がしました。
まだ次男が小さな頃の、いつかの富士山^^
