今回は「場」について…
場という言葉は、いろんな所で使われている。
私自身、神と繋がるのには、
清浄な空間、磁場、エネルギー。
この3つの要素はかなり重要視している。
中でも磁場とエネルギーは、外せない要素だと考えている。
囲碁をするための碁盤、サッカーや野球をするためのグラウンド。
要するに、競技場が必要な訳である。
神道では祭壇とお供え物、魔術などでは怪しげなサークルを描く。
それほど手の込んだものは必要ないが、そんな感じだ。
神はお供え物を食べないので、祭壇などは無くてもいいだろう。
(物質は必要ない)
モーゼやイエスが起こした奇跡には、そんな記述はない。
(彼らの能力は、別次元かも知れないが…)
能力の高い方には、必要の無いものだろう。
祭壇などはある意味で…
「人を釣るための仕掛け」と言えます。
物よりも…
神に対する「畏敬の念」が大切であることは、誰もがわかることでしょう。

滝などの行場は、エネルギーが出ていることが多いが、見た目はただの滝…
電磁波と関係するのは「磁場」と言うことになる。
渡り鳥などは、磁場(磁極)を頼りに移動しているらしいが、
それは感じていると言う事だろう。
身体を持った生物にも、感じる能力があるという証だ。
場の条件としては…
磁場が整っている事が、重要ではないかと考えている。
ここで、別の例から考えてみます。
自然の中にいるとほっとする。
これは誰もが思うことだろう。
その答えの一つとして、電磁波がある。
私は、強い電磁波から切り離されているからだと感じる。
勿論、あらゆる場所に電磁波は存在するが、
それほど強くなく、場は乱れていないと言うことだ。
それともう一つ。
廻りに生命が沢山存在する。
むしろ、生命に包まれていると言っても良い。
木や草などはエネルギーを出している。
この生命の波動が心地いいのだ。
(農業や家庭菜園をしている方には、この意味がよく分かるだろう)
その生命の波動が、ある種の「場」を形成しているようなのだ。
人には分からないネットワーク。
きっと、そういうものだろうと思う。
そして、自然に触れると、もう一つ感じるものがある。
それが、神の存在だ。
別の言い方をすると、本当の自分(魂)だ。
自然の厳しい場所に行くと、必然的に自然そのものと向き合うことになる。
北極や南極、エベレスト…
生命が少ないほど、その傾向は高くなる。
乱す要素が全くない。
そこに山(エベレスト)があるからだ。
イギリスの登山家、ジョージ・ハーバート・リー・マロリー
の言葉である。
神と自分。
冒険家達は、生命である自分と向き合い、その答えを捜している。
自らの生命を賭けて、自らを捜している。
そんな気がしてならない。

だからと言って、極端な場所が必要では無い。
だが、シンプルに向き合える「場」は必要なのである。
そのためには、磁場が整い、波動が乱されない場所が必要になる。
それが…
「場」が持つ意味だと考えている。
方法は二つ。
1.自然の中でそう言う場所を捜す。
2.そういう場所を創る。
(余計な電磁波や人を切り離し、磁場が整っている空間)
神社の神殿などは、この二つを同時に兼ね備えている。
いい場所に創っていることが多い。
それだけ、「場」は重要なツールだと言う事だ。
続きはまた次回へ…
