妙心寺周辺散策 その2 お寺や天皇陵など-追記1-(地蔵院)(花園西陵)(西光庵) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続きです
法金剛院を後にして、双ヶ岡へ向かいます
法金剛院の駐車場の角の道を入って行くと、右手に山門がありました
地蔵院


その壁の横には

こんな看板が!
毎月23日にはご開帳されているようです
でもこれって法金剛院で拝観したのと同じような?σ(^_^;)?
本堂裏の宝物館の右手のが同じものが置かれてたんです
また行ったら確認してみたいと思います

更に進むと三差路にこんな石碑


向阿上人御往生之地とあります

追記(令和4年6月撮影)
向阿上人のこと

向阿(こうあ、文永2年(1265年) - 貞和元年/興国6年6月2日1345年7月1日[1])は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての浄土宗の僧侶。向阿是心。證賢。

初め三井寺で出家したが、24歳の時仁和寺西谷法光明院の礼阿然空のもとに入り浄土門に帰した。学僧として活躍し『三部仮名抄』『浄土四要義』『往生要略抄』などの法語・教義書をまとめ、乾元2年(1303年)に兄弟子・専空より専修念仏院(専修院)を譲り受け、元弘3年(1333年)までに「浄華院」と改名、浄華院すなわち清浄華院の第五世として浄土宗鎮西派一条流を確立した。

(Wikipediaより)

その先の脇道入った住宅街に鳥羽天皇皇后璋子花園西陵があります













調べてみると、璋子(しょうし・たまこ)は待賢門院のことでした
この花園西陵は、法金剛院の内山・五位山の麓、ちょうど法金剛院の反対側にある感じになります
ちなみに五位山には古墳もあるようです
登れるとこが無いかもしれませんがf(^ー^;

花園西陵の道を真っ直ぐ進んで行くと、妙心寺総門へ行ってしまうので向阿上人の石碑のあった三差路を北へ向かいます
すると石碑にあった向阿上人御往生之地のお寺の前を通ります
西光庵

追記・下の2枚(令和4年6月撮影)



門の前に向阿上人終焉地の石碑


屋根の上には飛び?狛犬





門の手前に柵がガッチリ閉ざされていたので拝観は微妙でした
ある本によると参拝は出来るようてすが、要許可となっています(^^;

次回から今回の本題、京の冬の旅の様子をアップしていきます(^_^ゞ
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ