先日念願叶って物理学の超入門講座に出会い、どんな学問なのかがなとな〜くわかりました。
奇しくも原爆記念日にほど近い日のことでした。
解説くださった京都大学の先生の語り口はまことに穏やかで聴講者への配慮が溢れてました。
アインシュタインが提唱した量子論(光は波であり粒である)から発展して原子爆弾が開発されたようだけど、
純粋な学問としての物理学は別次元的で、音楽を聴くかのような心地良さがありました。
それはきっと自然原理の探求だから…
リュシアンもうっとり
ここからどうやって原爆が開発されたのだろう?
知恵は諸刃の剣。カーナビの精度もスマホの利便も量子力学がもたらしたものらしい。
授かった知能をどう使うか、人は能力開発と同時にそれ以上の時間を割いて己の使い道を自問しなければいけないよなぁ。
そんな思いがよぎりましたよ。
好奇心の塊となってふむふむと聴講したことはここに↓
そうだ、『オッペンハイマー』を観てみよう。
原子爆弾開発を指揮した物理学者の伝記が最近映画化されていたよな。
テーマが憂鬱すぎる。でも、この好奇心がある今なら観れそう。
原爆の日に何か自分にできることとして、知ってみよう。
今だ!と思い立って観てみたら3時間の長編でした。
予備知識ゼロなので話の展開を追うのはなかなかにハードでしたが、作品が伝えたいことは万人が必ず感じ取れるよう構成されてました。
人は知恵を持つと活かしてみたくなる。
ことの結末を深く考えることもなく、まずそのアイデアをカタチにしてみたくなる。
作ってしまうと、使いたくなる。
様々な理由を後付けしてでも使って効果を確かめたくなる。
気が済むところまで行動してから反省する。
そういう生き物なんだ。
「彼(オッペンハイマー)は頭は切れたが思慮深くはなかった。」
「武器は制御できると信じている未熟な科学者を束ねて協力させたが、自分自身も未熟であることに気づいてなかった。」
そんな台詞が作品のテーマを象徴してたように思います。
ひるがえって、
私たちも場面やことの重大性こそ違えど同じような状況に日々置かれてるんじゃないかな。
自分のこの才能、こんなことに使って良いのかな?
そんな自問を常にもって行動を選択することが、後悔を食い止める。
「顛末を予測する想像力」を鍛えることは、知恵を授けられた生物としての義務ではないかな。
聖書で言うところの知恵のリンゴとはそういうことではないだろうかと、そんなところに帰着するのでありました。
映画の原作は『American Prometheus』。
プロメテウスとは、神々の火を盗んで人類に与えた罪で岩山に縛り付けられ永遠の拷問に苦しむことになったギリシャ神話の神。
これを和訳すると『原爆の父』となる。なんだか英雄のような響きに違和感がある。
アインシュタインが2回だけ登場する。放つ台詞が端的で思慮深い。
アインシュタインは次に何が起きるかを瞬時に連想できるイマジネーション力があったことが、数少ない台詞の中でよく表されている。
父という呼び名はそのような人物にこそふさわしい。
写真は関連サイトからお借りしました
映画は3つの時間軸を切り刻んで交差させ進行していく。とっても複雑。
何度も見返すことで観る側の関心度、考察も深まるだろうって狙いだろうか。
レンタル配信を前提とした作品作りなんだろな
成果主義が浸透した現代に、「賢くあるとはどういうことか」と噛み締めるべき問いが込められてると思いました。
鑑賞の一助になるような解説見つけました↓
この方の考察が素晴らしい↓ 私の言いたいことを全部代弁してくれてた
終戦記念日を前にお盆休みにいかがでしょうか。
アカデミー賞も受賞してるみたいですよ。







