9月中旬のこと、京都国立近代美術館を訪れた折、向かいにある市立京セラ美術館へもハシゴしました。
ねちっこい私の美術鑑賞への同行に名乗りを上げてくれた強者がいて、2人して平安神宮界隈で半日たっぷり過ごしました。
メインがサイケな気配漂うファッション展だったので、コーデ服をネット販売してるお友達が視察を兼ねて付き合ってくれたのです。
いつもの美術館通いより心浮き立ち、珍しく早めに家を出て伊勢丹で旬の服も見て廻り。ファッション三昧な1日。気分上がりました。
ファッションの効力ってスバラシイ♪
京セラ美術館で観覧したのはコレクション展。
前半のブースは、明治以降の女性日本画家が描いた女性像にテーマを絞った展示でした。
ファッションをお仕事にしてる友人と巡ったので、自然と和装のセンスに着目して観て廻ることに。
洋服ではやらないような差し色の組み合わせ。
粋ってこういう感じなんですね。
絵の中の女性たちの伸びやかさ、活気みたいなものも伝わってきた。
この時代って私たちが想像してるより結構自由を謳歌されてんじゃなかろうか?
そんな印象を二人して感じ取ったのでした。
疲れた女性にも、絵になるゆとり(生気)がまだ感じられる。
今のお疲れ女子ってどう?
祖母が、「えみちゃんなんか野暮ったいもんや、私は神戸でハイカラに暮らしてたんやで。(もっと華やかに装っていいんだよ)」って言ってたことを思い出した。
自分がダサい格好をしてるとも思ってなかったし、めちゃくちゃみすぼらしい身なりをしてた祖母からの意表をつくアドバイスだったよな、あれ。
っと、
1枚だけ戦後の作品があった。
なんとも疲れた、窮屈な印象を受ける、色彩に乏しい絵。
解説を読むと、特に暗い気持ちで描いたようでもなく、むしろ憧れの女優を絵に納めたらしい。
大正時代に鮮やか伸びやかな女性を描いていた画家の最新作はグレーと紫で埋められてた。。
あっ、太平洋戦争が落としていった影ってこういうこと?
祖母に宿った敗北感が重なった。
昔はハイカラだっとかいうのもなんかイメージできてきた。
後半ブースに足を踏み入れるときにはもう“太平洋戦争が節目だった”って目になってるから、風景画にもその気配を探してしまう。
戦後の大原
日中戦争開戦当時のこの絵に、長閑さへの惜別を感じてしまうけど、邪推しすぎ?
かたや大正7年製作のこの屏風、生命力が眩しかったな。
敗戦を機に日本人は、随分と違った感性へと舵を切ったような印象を持ちました。
変遷したという自然な流れではなく、何か無理矢理な。
少ないサンプル数で傾向をみてとるというのは少々無茶ではあるけれど、お友達も同じようなことを感じていたよう。
あれかな? ○○○の政策…
そんなことを呟きながら、どことなく息苦しさを漂わせる現代アートのブースへ。
理詰めだったり無機質だったり刺激過剰なその表現は、それはそれで思考を刺激する魅力があり、息苦しいことを忘れさせてしまう。
あぁ、私たちはこの息苦しさのなかで生を受け、この感性を当たり前として育ってきたんだなと悟れた瞬間だったような…。
意外と重い、意図の濃い構成だったように思うのです。
キュレーターの狙いがどんなだったかを知る由もないけれど、自分なりに発見があり有意義でした。










