これなんだと思います?
入院中のおじいちゃんのミキサー食。
入れ歯がしっかり合っていないので、ベットの上では使えなくて、
お気の毒ですが、止むを得ずのこのメニューです。
でも、きっとお魚をすりつぶしたお料理なんだろうって想像できますね。
なんて心遣いなんだろうと、見たとき感動しました。
他にも色々バリーションがあります。
ご当人にとっては、これしきりで美味しくなるわけでもなく…
と歯がゆい思いもあるかもしれませんが、
大量の病院食を調理する中でのこの一手間を思うと、心がほころびます。
今日は、栄養士さんにミキサー食の作り方、栄養指導などしていただきました。
腎瘻のケアの実習もしていただきました。
病院によって体制も色々異なるでしょうし、
時代の推移で質の水準も上がっているのかもしれませんが、
おじいちゃんがお世話になっている病院は何かにつけてきめ細やかな配慮があり、
軽く驚くほどありがたく思っています。
リハビリのスタッフさんにも少しゆとりがあるような印象で、
一時的に2人体制で介助してくださる場面もあったりします。
部署間の連携も緻密で、
頓挫になることはほぼないし、レスポンスも早い、
同じことを2回説明する必要もない。
退院にあたっては、在宅サポートくださる方々が病院に出向いてくれて
カンファレンスで情報の引き継ぎをしてくださるのだとか。
準備するものは…?「大丈夫、訪問医が手続きしてくださいます。」って。
まるで絵に描いたような連携プレー。
病院が違うから?担当してくださる方々が“アタリ”だったの?
母は要介護5だったので、対応できる施設やヒューマンスキルに制限が多かったから?
顔見知りの方々がいらっしゃる従来のヘルパーステーションを指名したから?
自分で根回ししなきゃいけないことが随分あった気がするのだけれど。
ただひたすらにありがたく、筋斗雲に乗っている面持ちです。
話は遡りますが、おじいちゃんが手術した直後のこと。
主治医が看護師さんに
「もしも容体が、〜になったらすぐ電話して。夜でも電話して。」
と、強く念を押して退出していかれました。
その日も複数の手術を執刀されていた様子。
にもかかわらず、急変に備えて駆けつける意識を夜中もちつづける、
なんて奉仕が必要な職業なんだろう。
カーテンの後ろで心の中で深々と頭を下げておりました。
その主治医というのは、先日、文章の中でキレまくっていた(現場ではキレてません)その同一人物ですが。
昨日、お目にかかるタイミングがあり、
もしも腎瘻が夜中に抜けたらどうしたら良いか尋ねたところ、
「病院に電話して、僕の名前○○と言いますが、伝えてから来てください。」
とのこと。
直々に、夜中に駆けつけてくださるおつもりでいらっしゃるようです。
医者とはなんともありがたい職業であると、感動いたします。
私には内科医の友人がいてますが、
一緒にグアムに行ってもそこで患者さんの経過を気にしていました…。
お医者さんって我が身を削って患者に尽くせるご立派な精神をおもちなのに、
人道モラルについては先日記事にしたように『あれ?』となることもある。
あの件、‘介護の先輩’である友人に別件で電話したついでに話したところ、
ブチ切れて非難轟々。
やっぱりそうだよねー?っと、私も気持ちのつっかえが取れました。
私には、私の代わりにブチ切れてくれる友人が何人かいて、その姿に私は癒されるという構図があります(笑)
それはともかく、やっぱりおかしいわけですよ、あの時のあの診断とあの発言は。
懸命に医療に取り組む人が、違う方向を見ている
ってことほど残念で空恐ろしいことはない。
おじいちゃんの主治医さんに限ったことではなく、業界全体の意識の在り方、
日本人の意識・風潮だと思うのですよね。
現場でこんなに尽力してくださっていて、でも、
その根幹である命の尊厳の捉え方に深い考慮をする空気が薄いということ、
どうしたらいいんだろうね?
わざわざ記事タイトルにするほど感動して感謝したドクターの志ですが、
だからといって、全てを信頼して賞賛することができないこの心境…。
製薬業界も含めた医療業界という組織は、そこで働く人たちの善意を食って巣繕ってはびこっている、
そういうことなんだろうな。
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