そう、母は「そういうヒト」である。
家族に対しては特に『事前の一言』というようなものがない。
いわゆる『余韻』もない。
「もう直ぐ御飯だから、もう片付けて」
…と、『一言』言えば良いだけのことだろうに。
そして、そんな無礼な母に対して父もナニも言わない。
「それがアタリマエ」だからだろう。
「モト」と「マオ」も、もう判っていた……と言うより、びっくりし過ぎて声も出なかった、というところか。
しかし、普通の英国人なら……いや、日本人だって幾ら母という人を理解したとしても、一歩間違えれば大喧嘩&修羅場になってもおかしくない場面だったと思う。
もっとも、「モト」は後で当時の同僚に
「リオの母親は『MAD』だ」
…と言っていたそうで(仲良しだったその奥さんから聞いた)「普通の家庭」だったらまたそっちの方で問題になっていたかもしれないが、私からしたら
「そのくらい」
…で済ませてくれたことは感謝でしかない。
(もちろんその日の夕食は私達が「いつも通り」ほぼ無言で食事をし、母が「いつも通り」一方的に喋り続け仕切り続ける、という状況で終わった……!)
『ネガティブな母』との絡みを語り出すと終わらない。
今回、かなり吐き出したつもりだがネタの「メモ」を見返すと4分の1も書けていない。
著名人である中山千夏さんや佐野洋子さんが
「母親が死んで、やっと書けた」
…と言って「本一冊」を書き上げた気持ちが良くわかる。
…「繋ごうとした手を振り払われた」事よりも、いきなりのヘラヘラ笑顔で 「妙にベタベタと手を繋いできた」後に起ったことの方が嫌だったのは私…。
どちらも文庫本も出ているので興味のある方は一度読んで読んでみて欲しい。
余り母の事を書き続けると私の形相や性格そのものが悪くなりそうなので(いや、既に「良い」とは言えない人間だけどね🤣)今は一旦ここで御終いにしたい。
「区切り」として、私が今回の話を書こうとした切っ掛けになった記事と…
…最近読んだ中では、一番良かったと思える本の紹介を。
…極個人的な与太話に長々とお付き合い、ありがとうございました。
😊😊


