家族という形に対する試行錯誤 | コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

 閃いて、まさに!という想いでつけたのですが……司馬遼太郎さま、ごめんなさい……!
 

 

  

 

  己の「ヒマ」に気付くこともなく、まさにその「ヒマを持て余して」いた母にとってはまさに自分の子供、特に私は

 

 

「永遠の『自分の』子供」

 

  =永遠に自分が自由に『仕切れる』相手

 

 

  …であり、故に自分の気分だけで怒鳴りつけたり殴ったりしても平気な相手、でしかなかった。

 

 

  それは今も私を褒めてくれた相手の前で

 

  「フンッ、こんなババアがっ!」

 

  …と堂々とけなす事も出来る便利な相手、ということでもある。

 

 

 

  しかし逆に「目の前に居ない」子供のことは幾らでも話を「盛れる」のだ。

 

  そう、私が育てた『理想の子供』として。

 

 

  私と姉は

 

  「日本おとぎ話」(☚「ほぼフィクション」なので🤣)

 

  …と呼んでいるのだけど、それは別に最近に限った事ではなく、母は自分の脳内に浮かんで来た話を自分に都合よく組み立てて話すだけ。

 

  だから言われている相手を少しでも知っている人が聞いたら……というような話が出来上がる訳だ。

 

 

 

 

  私が一周忌で日本に居た時もそうだった。

 

  やって来たセールスマンに嬉々として話す内容が「自慢」ばかりなのは当然(🤣)なのだが、そこにしっかり「嘘」が入るから質が悪い。

 

  いや、もちろん私は母が誰かと「楽しい『会話』」をしている時にはその相手から何か言われない限り話には入らないし、母が言った「嘘」を一々否定することもしない。

 

 

  ただ、ひたすら「恥ずかしい」のだ。

 

 

 

  恥ずかしいから席を外したいのだが、ちょくちょく用事を頼まれる(アレ出せ、コレ持って来い!)ことに加え、下手に引きこもっていると後で

 

  「愛想のないオンナだねっ!」

 

  …と無駄に罵倒されるのも嫌だからだ。

 

  あ、と言って「もちろん」…先に書いたように母の「楽しい『会話』」に参加することもしない。

 

  そんなことしたら「後」がもっと大変になる。

 

  「この馬鹿! 人の『会話』を奪ったっ!」

 

 

 

 

  もとい。

 

 

  その時、何かの拍子で珍しく「姉」の話になった。

 

  そして母は彼らに向かって堂々とこう言い放ったのだ。

 

 

 

  「この地方一番の進学(高)校を

 

  首席で卒業したから、担当の先生に

 

  『北海道中、何処の大学でも大丈夫だ』

 

  って言われたのだけれど、

 

  親のことを考えて

 

  地元の大学に行ってくれた孝行娘!」

 

 

 

 

  ……大ウソです。

 

 

  「へ~っ! 凄いですねえ~?」

 

  …と、例え社交辞令でも感心してくれていた相手に気付かれないよう、私は肩を震わせながらそっと台所に逃げた。

 

 

 

 

  因みに、その話を私から聞かされた姉は、その瞬間咳き込んだと同時に椅子から転げ落ちていた……!

 

  🤣🤣🤣