猫に小判・豚に真珠……無礼者には「目には目を」? | コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

 閃いて、まさに!という想いでつけたのですが……司馬遼太郎さま、ごめんなさい……!
 

 

 

 

  もちろん私は何が起こったか、一気に理解した。

 

 

 

  しかしなあ。

 

  ホント『横取り』ダケは「好き」な人達なのだな……と思った。

 

 

 

   『ペーパーホルダー』の中身を取って行った人は、トイレに入って焦ったと同時に

 

  「そうだっ!!」

 

  …と思い付き、「私ってカシコ~イ!」くらいに思っただろう。

 

 

  もちろん「彼女」自身が直ぐ注文を書いたり、トイレにあった「紙」を買ってきたとは思わない。🤣

 

 

 

  しかしどちらにせよ、例えその「紙」が届いても、他の人達はまさに

 

  「今」「自分」が使う分

 

  …に『しか』気持ちが行かず、「休憩室」でペチャンコなっていた『ホルダー』のに『補充』する女性は誰一人いなかった、ということだ。

 

 

 

  普段、その『ホルダー』はの中身は順調に?減っているのに、だ。

 

 

 

  あれば真っ先に使うけれども、

 

  無ければ無くても平気。

 

 

 

  この「神経」=「感覚」が、私は今だ理解出来ない。

 

 

 

  繰り返すが、「そんなに面倒なことか?」なのに。

 

 

 

  一度知った『便利』を

 

  『維持』しようとは思わないのだろうか?

 

 

 

  更に驚くのは、「無ければ無くても平気」だが、それが「復活」すると自分が真っ先にその便利さを享受する、という所だ。

 

  例えそれが

 

  「誰か知らないヒトのモノ」

 

  …であっても。

 

  いや、『ヒトのモノ』だからこそ、勝手に『横取り』出来るのかもしれない。

 

 

 

  実は前記の『ホルダー』にしても、最初の最初が私自身が「休憩室」で支度をする時主に鼻をかんだり、ちょっとそこら辺を拭いたりする為に持ち込んだモノだった。

 

 

 

  もちろん「中身」は『カミ』の備品である「トイレットペーパー」だから、誰が使っても文句が言える訳もないし「中身」が小さくなったら「私が」黙って交換していた。

 

 

 

  でも実は「ペチャンコになっていた」というのは『二代目』だった。

 

 

  『一代目』を持ち込んで間もなく、ある日出勤したら「消えて」いた。

 

 

 

  アレ?……と思った時、珍しく「休憩室」に「サラ」が入って来たので何気なく

 

 

  「ココにあったの、知らない?」

 

  …と聞くと

 

 

  「え?

 

  あ~、ゴメンね、アレ、

 

  私の所(=二階の事務室)

 

  置いているの~!

 

  後で持って来るわねっ!」

 

 

 

  …(━_━)……!!!!

 

 

 

 

  「……ああ、いいよ、

 

  家に未だあるから

 

  「次」に持って来るから…」

 

 

 

  「あら~、そうぉ~???

 

  ありがと~!

 

  アレ、『便利』よね~?」

 

 

  …そうですか、お役に立てて嬉しいですよ、とは思わなかった。(多分私が聞かなきゃ「そのまんま」だったろうし)

 

 

 

  コノ国の「カイゼン」とは

 

  「便利」の『横取り』

 

  …と同じ意味なのだろうか?