「昔話」の中でちょこちょこ話しているが、日本で子育ていたアパート周辺では同年代の夫婦が6家族……つまり6人の「ママ友」が居て、更に「第一子が全部同じ年生まれ」という同年代の子供が最高で10人居た。
その子供達が毎日外で一斉に遊んでいたのだから、今ドキ知らない人が見たら
「保母さんの多い私設保育園」
…があるのかな?とでも思ったかもしれない。
今、改めて数え直しても「凄い環境だったんだな…」と思う。
6家族の内訳を言うと、4家族がほぼ同時期に入居した同じアパートの住人。
あとの2家族が「御向い」と言えるマンション&戸建てに住んでいた。
今回の「二人」とは、同じアパートの先輩?で我が家の「上」に住んでいた「ブリ子さん」と、当時某有名企業の幹部用社宅であった「御向いの戸建て」に皆に子供が生まれて約一年後にやって来て、その後周囲から『〇〇放送局』とも呼ばれるようになった「断言夫人」である。
因みに「〇〇」とは町名であり、彼女をそう呼び始めたのは私。🤣
更に言えば「断言夫人」というあだ名も当時は別の呼び方をしていたのだけれども、それをそのまま言うと某有名企業に迷惑が掛かるということで、ね……!🤣
話は先ず「断言夫人」の経歴?から。
彼女自身は広島の出身だったと思うが、親の知り合いの知り合いの知り合い、くらいの関係で関東出身の旦那さんと見合い結婚した、と聞いた。
旦那さんは確か一回りくらい上ということで最初は乗り気じゃなかったそうなのだが向うの熱心な求愛に「ほだされて」🤣
だから、とは言い切れないが旦那さんの「役職仲間」の中では若い奥さんということで会社側での付き合いは殆どなかったらしく、最初の子供が出来て間もなく「(家族として)最初で最後」の転勤(理由は後述)として来てみたら
「周りが同じような人達ばかりで、
凄く嬉しかった!!」
…だろうねえ、と思える同情の気持ちも「最初は」あったのだけれども……!??
