コノ国は『天才』で持っている。
…別な言い方をすると
コノ国の人達には『基礎』がない。
…と確信している、私は。
どういうことかと言うと「そのまんま」である。
一番判りやすい例えで言えば、小学校を出た日本人なら全員「九九」が出来る、と言い切って良いだろう。
多少の得意・不得意な部分はあるとしても。
しかしコノ国(特に公立=最低限の義務教育)では「自主性」の名のもとに
出来る子はドンドン進み、出来ない子は置いて行かれる。
(私は小学校レベルで国語や算数などの基礎学習を「能力分け」してしまうやり方には全く賛成出来ない。「上」の子は落ちると叱られ、「下」の子は最初からやる気を削がれるダケだとしか感じないから)
『義務教育』が全てソレだから、コノ国には
「イギリス人(育ち)なら全員出来る」
…というような『基礎』はない。
コノ国の子供が『義務教育』で習う『基礎』とは
「義務を放棄した上での権利の主張」
と
「一見尤もらしい見え透いたイイワケ」
…のやり方ダケ、だと時折本気で思ってしまう。
何と言っても
「やりたくないことは、やらなくてイイ」
「食べたくないモノは、食べなくてイイ」
…という概念で育った人間(☚多分)は
「地味(だけれども大切)な仕事」
…という事に対する意識が地下に埋まっている。
これも判り易く言えば、EUを離脱したのも
「移民がオレ達の仕事を奪う!」
…という高尚な?理由からだが、その移民が居なくなったからといって
「彼らが自分達から奪った仕事」
…に、喜んで就いたコノ国の人達はどのくらい居るんだろうか?
「文句」は言うが、「改善」はしない。
コノ国の庶民、それも「底辺」と言える人達に接していてコノ国の『庶民』=『基礎』はそういうものだから発展もしない。
コノ国の発展は
良く言えば「専門家」
普通に言えば「一点集中主義」
悪く言えば「〇〇馬鹿」
……『基礎』や『常識』をすっ飛ばしても、何故かコレダケは誰よりも出来る……というような突然現れる『天才』達に寄ってコノ国は支えられて来たのだろうな……と私は考えるのだけど、皆さんはどう思うだろうか……?