もう耳タコレベルで書いていることだけれども、「モト」という人はとにかく『おもてなし』(『御返し』を含む)ということが出来ない。
と言うよりもハッキリ言って「その発想そのものがない」……としか言えない。
「自称・寛大な倹約家」は、根っから
「自分のオカネは
全部『自分の為』以外は使いたくない」
…ヒトで、同時に
「ヒトが自分に払ってくれるのは幾らでも平気」
…というヒトだった……いや「過去形」では絶対にないけれども。
例えば日本に居た当時はお金持ちの「生徒」さんにどんなに身分不相応の高級店に連れて行かれようと
「ボクは『ありがとう』って言ったよ?」
…の一言で終わっていた。
それでいて
「自分は★★に行ったんだぞ!」
「★★に行ったことがないなんて通じゃない!」
…というようなことを家族に平気で「自慢」出来る神経というものを、私は今だ理解出来ない。(理解したくもない、とも言う?)
まあ当時連れて行ってくれる相手の方も単に(自分が自慢出来る)『パンダ』を連れて歩いている気分なんだろうな~とは思っていたが、もちろん「モト」が同じ店に「自分のオカネで」家族を連れて行ってくれたことなど一度も無かった。
何よりも私が彼の神経を疑ってしまうのは、そうやって自分は浴びるだけの『おもてなし』を受けておりながら、有形無形であろうと自分からは『御返し』という意識がなく、どれだけの「恩」に対してでも
「ボクは『ありがとう』って言ったよ?」
…の、まさに『一言』で済まして平気で居られること。
あらゆる『御返し』がいわゆる
「道ですれ違った相手に
親切にしてもらった時のレベル」
…だった、ということだ。
最初の頃は相手が金持ちだから良いと考えているのかな?……などと考えていたが、最初の英国旅行(=私の初海外旅行+初子連れ旅行)で「同僚へのお土産」の話を私が振ると「モト」がまさに「角の店屋」(←これで笑える方はオトモダチ!)しぶしぶ買って来たのが…
『キャドバリーの板チョコ一枚』
…と言って、ひっくり返ることが出来る人は在英者……という訳ではないだろう。
コノ国に「日本のお土産」と称して
『明治の板チョコ一枚』
…を持って来たのと同じ、ということだ。
それも
10人ほどの「同僚」がいる職場
…に対して、である。
(私が何を言っても「これで十分だ!」と譲らなかった)
自分は散々生徒さん(もちろん同僚からでも)から一人ずつ「箱入りのチョコ」や「ビスケット一箱」などを『お土産』として日々大量に貰っているヒトが「こういう発想」は何処から来るのか?……と今でも不思議で仕方がない……!