「モト」という人がする『おもてなし』の話 1 | コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

 閃いて、まさに!という想いでつけたのですが……司馬遼太郎さま、ごめんなさい……!
 

  

 

  もう耳タコレベルで書いていることだけれども、「モト」という人はとにかく『おもてなし』(『御返し』を含む)ということが出来ない。

 

 

 

  と言うよりもハッキリ言って「その発想そのものがない」……としか言えない。

 

 

 

  「自称・寛大な倹約家」は、根っから

 

 

 「自分のオカネは

 

  全部『自分の為』以外は使いたくない」

 

 

 …ヒトで、同時に

 

 

 「ヒトが自分に払ってくれるのは幾らでも平気」

 

 

 

  …というヒトだった……いや「過去形」では絶対にないけれども。

 

 

 

 

  例えば日本に居た当時はお金持ちの「生徒」さんにどんなに身分不相応の高級店に連れて行かれようと

 

  「ボクは『ありがとう』って言ったよ?」

 

  …の一言で終わっていた。

 

  それでいて

 

 

  「自分は★★に行ったんだぞ!」

 

  「★★に行ったことがないなんて通じゃない!」

 

 

 

  …というようなことを家族に平気で「自慢」出来る神経というものを、私は今だ理解出来ない。(理解したくもない、とも言う?)

 

 

 

  まあ当時連れて行ってくれる相手の方も単に(自分が自慢出来る)『パンダ』を連れて歩いている気分なんだろうな~とは思っていたが、もちろん「モト」が同じ店に「自分のオカネで」家族を連れて行ってくれたことなど一度も無かった。

 

 

 

 

  何よりも私が彼の神経を疑ってしまうのは、そうやって自分は浴びるだけの『おもてなし』を受けておりながら、有形無形であろうと自分からは『御返し』という意識がなく、どれだけの「恩」に対してでも

 

 

  「ボクは『ありがとう』って言ったよ?」

 

 

 

  

 

  …の、まさに『一言』で済まして平気で居られること。

 

 

  あらゆる『御返し』がいわゆる

 

 

 

  「道ですれ違った相手に

 

   親切にしてもらった時のレベル」

 

  …だった、ということだ。

 

 

 

   最初の頃は相手が金持ちだから良いと考えているのかな?……などと考えていたが、最初の英国旅行(=私の初海外旅行+初子連れ旅行)で「同僚へのお土産」の話を私が振ると「モト」がまさに「角の店屋」(←これで笑える方はオトモダチ!)しぶしぶ買って来たのが…

 

 

 

  『キャドバリーの板チョコ一枚』

 

 

 

 

  …と言って、ひっくり返ることが出来る人は在英者……という訳ではないだろう。

 

 

 

  コノ国に「日本のお土産」と称して

 

 

  『明治の板チョコ一枚』

 

  …を持って来たのと同じ、ということだ。

 

 

 

  それも

 

  10人ほどの「同僚」がいる職場

 

  …に対して、である。

 

   (私が何を言っても「これで十分だ!」と譲らなかった)

 

 

 

  自分は散々生徒さん(もちろん同僚からでも)から一人ずつ「箱入りのチョコ」や「ビスケット一箱」などを『お土産』として日々大量に貰っているヒトが「こういう発想」は何処から来るのか?……と今でも不思議で仕方がない……!