この話の続きです
ナルシスト=『自己愛パーソナリティ障害』だった「モト」。
もちろん当人はそう言われたとしても完全否定するのは判っている。
「そういう人達」は人格を簡単に使い分ける(=「息を吸うように嘘をつける」)から、第三者、例えば医者の前だって「素直」になどならない。
また、医者や先生だってある種の固定観念……例えば
全ての母親は子供の事を一番考え、愛しているもの
…などと思い込んでいる相手だと「そういう母親」を演じる人に簡単に騙される。
そして「そういう母親」は「第三者」の目が無くなった途端、勇気を出して行動し「事実」を話した子供に向かって
「ヒトに『恥』を掻かせた!」
…という「正当な理由」で殴り掛かるのだから。
そう、『恥』は建設的な行為に結びつかない。
何より「モト」や母(もちろん「父」も)には『恥』や『屈辱感』はあったが、『罪悪感』は無かったと思う。
「悪いのは全て人のせい」
…「自分の非」を認めることは、『恥』以外の何物でもなかったのだろう。
本書の説明にあったように『恥』の経験を話すことは「解放」だと、私自身の経験で確信出来る。
と言っても「悲劇のヒロイン」になる必要はない。
「笑い飛ばす」
…のが一番だと今の私は考えるのだが、『永遠の被害者』である彼らにしてみれば『悲劇のヒーロー&ヒロイン』のままである方がずっと心地良いのだろう、と思う。
まさに「『平凡』であることへの不満」だ。
因みに今回の本の原題である『Daring Greatly』(日本では『果敢なる挑戦』と訳されている)はセオドア・ルーズベルト大統領のスピーチから来ている。
動画の中でも紹介されていたが、最後にもう一度記しておきたい。
賞賛に値するのは
実際に行動した人物であり
汗と血でまみれ、勇敢に戦い
何度も間違いを犯して
成功にまで手が届かなかった人物であり
熱意をもって身を捧げ
有意義な目標に向かって全精力を使い
たとえ失敗したとはいえ
果敢に挑戦した人物である
その人物は
勝利も敗北も知らない臆病者たちとは
一線を画している