今日(あれ、明日?)日本は『センター試験』ですよね…。
私の時は俗に言う「共通一次」第一回生?だったのだけど、そも私は「女に教育は要らない」という意識の両親だったので根本的に大学受験というものをしていない。
しかし姉は進学校から大学に進み教員免許を取ったのだから、結局
「自分達が希望した通り且つ周りに自慢出来る(と自分達が思い込んでいる)コース」
…だったら行かせてもらえた、ということだろう。
前にチラと書いたように私は15歳から本格的に『心の臍の緒切り』を始めていた。
その最初が「自分が選んだ(行きたい)学校に行くこと」であり、『親が望む学校』に行かないこと、そう、『高校受験』だった。
私が行った私立高校は専門学校に近いような女子校で、学業としての成績レベルは「市内最低」で有名だったような所だったから高校生活は常に母の罵倒と恨み節を受け続けることになったのだけど、私にとってはまさに小中学校の「イジメられっ子」の鎖から卒業した感じでクラスにも一体感があり、一番楽しい『学校生活』を送れたのだから「あの時点では」最良の選択だった、と思っている。
「イジメられっ子」で思い出したけれども、 自分の公立高校受験の日のこと。
そちらに進む気は全く無かったのだけれども、当時の地方都市では余程の理由でもない限り公私両方受けるのが普通で、更に言えば周りも公立に受かったら必ずそちらに、という雰囲気だった。
ただ、私は最初から「行く気」が全く無かったから緊張感も無い。
試験前、ぼんやりと周りを見回しているとフト気になる顔を見つけた。
あれ? あの子、どこかで会った気がするなあ……と思ってジッと見つ直して思い出した。
小学校時代の『イジメっ子』だった。
確か三年生の時に同じクラスになってからイジメが始まり、『校区変更』で私が学校を替わるまで、クラスが離れても「学年のボス」的態度でイジメ続けてくれた女の子。
一生忘れない顔の一つだったのに、気づくのに時間が掛かったのは彼女の雰囲気が変わり過ぎていたからだった。
私が知る彼女は「小憎らしい」という言い方がピッタリするほど、私の前ではふてぶてしく突然インネンをふっかけて来るような子。
常に「取り巻き」に3~4人囲まれ、彼らも便乗して大威張りで行動していた。
それが試験場で観た彼女の印象は
「ぽつねん」
…という擬音がピッタリだった。
気付いてからずっと『観察』していたのだけれど、休憩時間になっても誰も彼女の側に来ない。
私のように「一人」に慣れているような人間とは違う、「おどおど」「びくびく」という雰囲気。
まさに「イジメられっ子」のソレだった。
向うは私に全く気付かず、その後彼女がその学校に合格したかどうかも知らない。
ただ、
「因果応報」
とか、
「撒いた種は刈らねばならぬ」
とかいう言葉が心から浮かんで来た日だった。