2025年1月に

いちきしまひめのみこと…

と起きがけに 声が聞こえてきて

厳島神社の映像をバンと見せられました。

すぐに子どもたちと主人にこの話をすると

家族全員が「行こう行こう!」と即決。

こうして、春休みの広島旅行が決まりました。


せっかく 広島へ行くならば原爆ドームへ
手を合わせに行きたいと思いました。
わたしたち夫婦は福岡で育ち
戦争や平和について学ぶ授業が
当たり前のようにありましたが
関東で育った子どもたちは
教わる機会が極端に少ないです。
だからこそ
「原爆とは何か? 戦争とは何か?」を
まずは自分たちの目で見て
肌で感じてほしいと思ったからです。


戦争の記憶を語り継ぐということ
広島へ行く前に
子どもたちと戦争の話をしました。
とはいえ、わたし自身が知っていることは
祖父母から聞いた話や
学校で学んだほんの僅かな知識にすぎません。
それでも、わたしが話さなければ
子どもたちには 戦争が何だったのか
伝わらないかもしれない。
だから、できる限りの言葉で話しました。
徴兵制とは何だったのか
「徴兵制」というのは
国が 一定の年齢に達した男の子を
強制的に兵士として戦場に送り出す制度のこと。

わたしたちの暮らす今の日本では
想像もできないことですが
昔は高校生くらいの少年たちですら
戦場へ行かなければなりませんでした。

きーとさほど変わらない年齢の子も
戦争に行っていたんだよ。
戦争に行った人の中には
生きて戻ってきた人もいれば
手足を失いながら帰ってきた人もいる。

荷台に乗せられて
かろうじて命をつないで帰ってきた人もいれば
遺骨となって帰ってきた人もいたの

だけど 戦場の過酷さのせいで
本当の遺骨がどこにあるか
分からなくなった兵士も多かったから
家族に「これがあなたの息子さんの骨です」
と渡された箱の中身が
実はただの石ころだった という話もあってね…
どれほどの悲しみや無念があったのだろうって…

戦争は「攻撃されること」だけが
苦しみではない

もし、きーが徴兵されていたら…?
戦場に行って 敵とされた他の国の人を
攻撃しなければならないから
相手の命を奪うことになる。
それを拒めば 自分が撃たれるかもしれない。

殺されることも
爆弾を落とされることも怖いけど
攻撃することも
どれだけ苦しいことか想像できる?

ごめんね…泣いちゃって…
いいよ いいよ お母さんもっと話してほしい
今生きてるって 本当に本当に
すごい奇跡の連続なんだね

もし、きー や せーが
昔の時代に生まれていたら
徴兵されて戦場に行っていたかもしれない。

そう考えると
わたしは 胸が押しつぶされそうになるほど
苦しくなります。

お母さんは、戦争を体験したの?
してないよ。
でも、していなくても、苦しい。
想像するだけで、胸が痛くなる。
もし、ふたりが戦場へ行くことになったら…?
生きて帰ってくるかも分からないまま
今のようにスマホもないし
ただ待つことしかできなかったら…?
戦争から帰ってきても
心がとっても傷ついていて
生き残った人たちも
〝自分だけが生き残って帰ってきて〟
って苦しかったの。

考えれば考えるほど
戦争の苦しみが「過去のもの」ではないことに
気づきます。
戦争により大切な人を失った祖母には
本人から話してくれる限りは
聞く事は出来ないのと
関心を持つ事が大事だと話しました。
長男は静かにわたしの話に頷き
次男は初めての話に驚きながら聞いていました。


1日目:平和記念公園と原爆ドームへ

平和記念公園とは
広島市の中心部に位置する平和記念公園は
原爆の悲劇を後世に伝え
恒久平和を祈るために整備された公園です。
かつてこの場所は 中島地区と呼ばれ
広島一の繁華街でした。
しかし、1945年8月6日午前8時15分
世界で初めて原子爆弾が投下され
一瞬にして壊滅。
戦後、この地を
「平和を象徴する場所」にするべきだ 
という声が上がり 再開発ではなく
平和記念公園として生まれ変わりました。

公園に足を踏み入れると
広々とした空間に 
慰霊碑やモニュメントが点在 しており
想像以上に美しく整備されていることに驚きました。


また、訪れている人の多さにも圧倒されます。
日本国内だけでなく
欧米やアジアからの観光客の姿も多く
改めて世界中がこの場所に注目しているのを感じました。


原爆ドーム
公園の北側に立つ
原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)は
被爆当時のまま保存されている唯一の建物です。
原爆は このドームのほぼ600m真上で炸裂し
爆風と熱線によって
建物のほとんどが崩壊しました。
しかし 鉄骨のドーム部分だけが奇跡的に残り
現在も戦争の悲惨さを伝え続けています。

この場所に立つと ただの観光名所ではなく
「ここで一体何が起こったのか?」 と
考えさせられる空気が流れていました。

原爆死没者慰霊碑と平和の灯
原爆ドームから歩いて 平和の灯 へ。
この灯火は 
核兵器が地球上からなくなるまで消さない
 という誓いのもと1964年に点火されました。


その先にある 原爆死没者慰霊碑 には
「安らかに眠ってください 
過ちは 繰返しませぬから」と刻まれています。

この言葉の主語はあえて書かれていません。
「過ちを犯したのは誰なのか?」
「日本も戦争に加担していたのではないか?」
さまざまな解釈を生む、深いメッセージです。

碑の向こうには
原爆ドームがまっすぐに見える設計になっており
ここで手を合わせると
自然とドームに向かって
祈る形になるように作られています。




次に向かったのは
公園内にある 広島平和記念資料館。


ここには被爆者の遺品や写真証言が
展示されており
原爆がもたらした悲劇のリアルな記録が
詰まっています。

特に印象的だったのが
ホルマリン漬けにされた被爆者の皮膚。

「原爆で焼かれて、もはや性別すら分からなくなった」と聞くことはあっても
実際の写真や遺品、絵を目の当たりにすると
言葉を失います。
皮膚は 火傷によってドロドロに溶け
垂れ下がり 水を求めて黒い雨を飲み
傷口にハエが群がり、ウジがわく。
あまりにも壮絶な記録。

当時、原爆を投下した国では
「原爆投下成功!」と報じられました。
一方で、広島の街では
想像を絶する地獄が広がっていたのです。

わずか 80年前の出来事。
わたしたちは今 何を受け継ぎ
どう生きるべきなのか——
そんな問いを突きつけられた気がしました。


折り鶴の塔と、平和の象徴「高い噴水」
資料館を出て
公園内を歩いていると見えてきたのが 
「原爆の子の像」。
ここには 世界中から送られた
千羽鶴 が飾られています。

この画像はwikiから。

この像は原爆症で亡くなった
佐々木貞子さんにちなんで建てられたもの。

彼女は、被爆から10年後に白血病を発症し
「千羽鶴を折れば病気が治る」と信じて
折り続けましたが、12歳で亡くなりました。
小学校時代 毎年、折り鶴を何枚も折り
その年の6年生が修学旅行で長崎へ行き
千羽鶴を奉納していた事を思い出しました。

そして、公園の中央にあるのが 平和の池と噴水。



水は、被爆直後に「水をください…」と

叫びながら亡くなった人々への鎮魂の象徴です。


この噴水が
今も絶えず水を吹き上げているのを見て、
「この水を、あの時の人たちに届けられたら…」
と こみ上げました。

この日、ここで見たもの 感じたことは
ただの観光ではありません。

「過去にこんな悲劇があったんだね」ではなく
「二度と繰り返さないために
わたしたちは何ができるか?」を
考えさせられる場所。

子どもたちも
それぞれに思うことがあったようです。

長崎の原爆資料館も3回ほど行きましたが
静かに平和の火を見つめる姿を見ながら
広島へ来てよかったと思いました。
そして

UMAくんりもっちママのあるがママなすがママ

○戦争を体験された藤城清治さんが描く平和


○いのちのはじめ


◯地球へのたからもの


◯読んだ事ない方向けの読み聞かせ


○戦争を生き抜いた強い祖母


○自分が解決すると周囲にも波動が届く