こんにちは、安藤ひさこです。
私の世界観ブログとして記事を書くことにしました。
初めての方はこちらも読んでいただけると嬉しいです。
私は自分と向き合う講座の講師として何を実現していきたいと思うのか?
それをもう一度確認したくて、自分が抱えてきた思い込みを作ることになった人生を振り返るブログを書いています。
まだお読みでない方は、こちらをお読みくださいね。
今日はこちら
【私の世界観 第7話 小学校時代①】
それと母が当時から何度も言っていたのは「感受性が豊か」
一年生の時に姉が書いた作文を、先生が授業参観で読み上げると来ていたお母さんが涙ぐむ。
詩を書かせてもうまいと担任の先生から褒められる。
算数をやらせれば理解が早いので、授業中さっさと終わらせて退屈そうにしている。
母は姉のことをとてもほめていました。
そんな時いつも
「あんたはね~。同じ双子なのにどうしてこうもちがんだろう?」
「お母さんの子なのにおかしいねー。」
「なんであんただけ、変なことをするんだろう?」
母は笑いながら言うのです。
私は作文も感想文も詩も苦手。
算数はよくわからない。
一を言えば十わかる姉に比べて、私は一を言われてもその一すらすぐに理解できない。
母にとって私は
「自分には似ていないちょっとおかしな子」
そんなイメージだったようです。
母に悪気はなかったのかもしれません。
もしかしたら「がんばれ」の意味があったかも。
でも当時はそんな風には受け取れないよね。
1,2年生の頃、私はあまり記憶がありません。
2年間同じ年配の女性の担任の先生でしたが、一年生の時放課後残されて何度もビンタされたことがありました。
元々怒られると頭が真っ白になってしまう私はこの先生がとても怖かった。
さらに怖くなり、年配の女性が苦手になりました。
3年生になって新任の男の先生になりました。
京都出身の優しい男の先生。
怒ると怖いときもありましたが、私を「ひーさん」って呼んでくれ、とてもかわいがってくれました。
この頃から姉の言動はきつくなっていたので、私は姉に言われっぱなしになることも多かった。
そんな時でもあとから「ひーさん、大丈夫か~?」って言ってくれた先生。
私はこの先生のおかげで頑張れたことも多かったです。
この頃イジメにもあったんだよね。
でもずっと母にも言えず我慢していました。
朝早く起きて神棚に手を合わせて「今日は何もありませんように」ってお願いしていました。
「辛抱する」「我慢する」ことは、私にとっては大事な価値観でした。
頭の切れる姉は、頭の切れることを良く思う先生からとても可愛がられ
「〇ちゃんは賢いね~。」ってよく言われていました。
私は我慢と辛抱を良い事だと思い、誰かのいい子になることで、
そして姉ははっきりした物言いで優秀で社交的であることで
認めてもらおうとしていたと思います。
4年生になって、さらに姉の言動がきつくなり始めました。
母が医療機関に勤めていたので、夜は診察で遅くなる。
そんなとき、二人で夕飯を作っていたのですが、姉はまるでやろうとしない。
でも私の作ったものに「まずい」「ひさこが作ったものなんか食えるか」
そんなことが積み重なっていきました。
今日も最後までお読みくださってありがとうございました。
