こんにちは、安藤ひさこです。
私の世界観ブログとして記事を書いています。
初めての方はこちらも読んでいただけると嬉しいです。
自分の棚卸しと講師として講座を通して何を伝えていくか、今一度確かめたくて書いています。
まだお読みでない方は、こちらをお読みくださいね。
今日はこちら。
【私の世界観 いつも母は姉と。】
京都に住んでいる頃なので、3歳ごろかな。
姉が熱を出し、母は私を置いて病院に行きました。
私は一人でお留守番。
姉と母が帰ってきたとき、姉はビスコの大きな箱を抱えてニコニコ。
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姉は「これは自分のもの!」と言い張り、くれようとしませんでした。
母にたしなめられて私にくれたものの、なんとそれを食べた瞬間に私は嘔吐してしまったのです。
たぶん、胃腸風邪みたいなものだったんだよね。
母に「もう食べちゃダメ!!」って言われ、ビスコは回収。
横で美味しそうに食べている姉をみていました。
どうして〇ちゃんだけ??
小さかった私には自分が食べたらまた嘔吐するかもしれないという考えはない。
だから姉だけ大事にされているようにしか思えなかった。
寝るときもそうだった。
物心ついたころには、母はいつも姉と寝て、わたしはいつもおばあちゃんと。
それをとても羨ましく思っていた。
病気がちな姉が母と二人で病院に行くことも、私にとってはうらやましかった。
夜、姉を負ぶって医者に向かう母の背中をいつもみていました。
私は本当に丈夫でだったらしい。
今は丈夫な身体に産んでくれて感謝しかないけど、当時は何となくうらやましいという気持ちを持っていた。
四十も半ば過ぎてようやく母に姉とのことを聞いたら
私は丈夫だったし、しっかりしてたから安心してたとのこと。
親の心子知らず。
そんな風に思っているとは思っていませんでした。
私はこうしていつもいつも姉を意識して大きくなってきました。
姉が聞かん坊であればあるほど、私は
「辛抱強いことがいいこと」
「我慢することが大事」
「聞き分けのいい子でいなければならない」
を握りしめていきました。
この先、高校時代まで私は事あるごとに姉と比べられていくことになります。
そして、姉の暴言が始まる小学校高学年の頃から、私はこの「聞き分けのいい子でなければ」の思い込みに縛られどんどん生きづらくなっていきました。
その過程もこの先書いていきます。
思い出すと辛いこともありますが、客観的に見られるようにもなりましたし、
あの時を乗り越えて来たからこそ今があると思えるようになったので素直にそのままを書こうと思っています。
今後も引き続き読んでくださると嬉しいです。
今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
