続きです♡
▶︎表現とは、ひたすらに自分の中の光の追求である♡表現の役割①
不意に「源」に触れて、
その感覚を表現した時、
自分ではわからないんじゃないか?
自分が何を描いたのか?
自分が何を作ったのか?
どこから来たものなのか?
昔はよく、アーティストが「この曲を作った理由や意味」を聞いて、ガッカリすることがものすごく多かった。
それは、聞き手である私が「感じたこと」よりも
「作者の意図」の方が正しいと思っていたから。
この続きにもなりますが…
▶︎月夜と深海
ミスチル「深海」
中学生の私は「壮大な時空を超えたストーリー」を感じて鳥肌がたった。
いつもお気に入りの曲しか聴かないのに、このアルバムは全てを通して「一曲」という感じがしたし「シーラカンス」は「永遠」の象徴だと感じた。
今、改めて言うなら「それぞれの人生(個)の時代の苦悩や恋愛」を歌っていて、でもの「源・魂」をずーっと感じさせる「魂の旅」の一枚に聴こえる♡
それはやっぱりこの作品が完全に「源」に触れているからで、
そんな風に「源に一瞬乗っ取られて作った作品」と言うのは、本人(個)は「うまく説明が出来ない」んじゃないか?と思う。
だからアーティストに「なぜこのアルバムをつくったんですか?」なんて聞いても
桜井さんが言ったらしい
「不倫がバレる前に汚いものを全部だしちゃいたかった」
というようなことばかり書かれて、がっかりする。
こういうの本当によくある。
山崎まさよしの
「one more time one more chance」という歌にも
源を感じて涙が出る。魂の繰り返しの旅を感じる。
これも、「おじいちゃんが死んだ時になんとなくできた曲」みたいなのを聞いてガッカリしたことがある。
(本当かどうかわからないけど・笑)
なぜ歌詞をこの言葉にしたのか?
なぜこの構成にしたのか?
と言っても、きっと自分では説明がつかない。
「名曲」「名画」と言われるものは、きっとそういうインスピレーションに溢れたもので
作った本人はよく説明がつかないものなのだ。
ただ、「なんかそうした」
もっと言えば「させられた」「描かされた」に近いもの。
女性の宿命と同じ。
生理・妊娠・出産と同じ。
頭が追いつかない。
私は、常々、なぜ芸術家には男が多いんだろう?と不思議に思っていたのだけど、やっぱり女の肉体は「芸術」と呼ばれるものと似てるけれど次元の違う、もっと直に源と接触するものを、生生しくやってしまっている。
そりゃあ、女は精神異常ギリギリな感情持ってても、おかしくないよ。
女はヒステリーと言われる所以もそれだ。
( しかしどうせなら、本気のメンへラになろう♡)
絵も同じで・・・
美術史みたいなものを読んでいると、詩人が支持したりして、有名になっていく。
ムンクの絵なども、「栄養」にされて、そういう人の「表現のもと」になっていく。
芸術家と、精神異常者の違いって何なんだろうか?
「意識が研ぎ澄まされる」と「気が触れる」の違いって何なんだろうか?
と疑問だったけれど、一つ前の記事でも書いたように
・その人が「表現する技術」を磨き続けること
・公開されること(それを見る人がいることや、公開される土地など)
・自分が何を描いたのかを、自分が理解すること
はとても大事なんだと思う。
そしてさらに、
・解釈者
の存在、つまり
・さらなる表現者が絡まること
がとても大きいと思う。
それは、「反応者」「評価者」ではなく、
それを吸って、さらに自分の表現にしていく人のこと。
最初の記事にも書いたけど、
表現とは、「作品発表」ではなく
ひたすらに自分自身の中の光の追求。
自分自身の追求が
誰かを絡めてさらに増幅する♡
表現×表現が絡み合う♡
自分が出したものが、誰かの解釈、誰かの表現により、
また自分の中のものを理解していく。
だから、やっぱり役割がある。
文字にして表現する人
絵に描いて表現する人
音にして表現する人
体全体で表現する人
それぞれの担当があるんだよね
それが才能だし素材だと思う。
身の回りで言うと、例えば認定講師とか、受講生が、誰かの表現をリブログし合いながら自分の表現をすることなどもそう。
この世界の素晴らしい点は、別に「一緒に表現し合いましょう!」なんて
タッグを組まなくても、会ったことがなくても、時空を超えて、絡み合えること。
勝ち負けの世界で「表現」の奪い合いなんて言う的外れなことをせず
絡み合わせ、吸い合いながら
それぞれが自分自身の追求に向けていたら
壮大で美しい「源そのもの」なものが生まれていく♡
そしてそのうちの何かは「芸術作品」となっていくかもしれない。
けれど、それは何かだけをメインに置いた「主役」「脇役」という狭いものではないし、
「生死」と言う勝ち負けで「今生に限り」とやってるうちは、やっぱり辻褄が合わない。
生きているうちに認められなくても、絵を描き続けた人たちは
やっぱり、頭じゃなくて、感覚で、それを分かっていたんだと思う。
生きているうちに、と言うよりも
感じたものの表現の方が大事だ、と言うこと。
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例えば、モネが絵にして、
そこからこんな言葉もあって、
そしてさらにそこから私も何かを吸い取る♡♡
吸って吐き出す。
時空を超えて巡る。
世界はそうやって出来ている。
そして、私は「よき解釈者」で在りたい。
物事を美しく見たい。
綺麗事が好きだ。
物事を綺麗に見るのが好きだ。
その人や物の奥深くにある「光」や「愛」を見出すのが好きだ。
それぞれが、的外れに外側に重きを置かなければ、異常な狂気は全て愛に還る事ができるはずだ。
▶︎歴史に学ぶとは。勝手に変換物語を「勝ち負け世界」でしないこと。
誰だって、本当の本当は
「勝ち負けの世界」という幻世界に住む人たちじゃないんだから。
このブログも、「誰かに見せるもの」ではなく、「自分自身を知るため」を絶対的に主においていたい♡
ムンクのこれも好き♡接吻。
今思うと、なぜアーティストの言葉を聞いてガッカリしたかというと
「音と言葉の不釣り合い」が嫌だったんだな。笑
音で感じた「源」のことを、もっと「言葉」で聞きたかったんだ。
それは、私が「言葉担当」の素材を持つことを示唆していたのかもしれない。
つまり、じゃあ、私がやろう♡ということ。
この絵が優しく、教えてくれた♡





