昨年のクロコノートに引き続き、
モンブランにパイソン柄が登場していて、2色買ってみた♡
すっごく素敵!
上品で女っぽい♡
実は、「クロコの方が可愛かったな〜」なんて思いつつ、買ったのだけど
そう思ったことが恥ずかしいほどの素晴らしいモンブランのクオリティだった!
こちらの記事の、続きです。
▶︎表現とは、ひたすらに自分の中の光の追求である♡表現の役割①
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母はよく、「言葉にできるのはすごい」と言う。
前も、こんまりさんのアメリカ進出・活躍をテレビで見て、
「あんなの、私だって昔からおんなじこと思ってるの!片付けが大事だって!でも、言葉に出来ないの。みんな思ってても言葉に出来ないものなんだよ。だからこんまりさんはすごい。あんたもすごい。」
と言っていたことがある。
私も確かに、自分で感じた事を「言葉にすること」は、「自分自身に対して表現している」というような気がする。
その表現によって、恩恵を受けるのは自分自身。
「自分自身」が「自分の表現」により、理解する。
理解した「自分」でまた、感じる。
そしてまた表現する。
まさに、男性性と女性性♡
男は踏み台。だ
ゴッホやムンクも、きっと自分自身が感じたもの、見えたもの、聞こえたもの理解が出来なかったんだろう。
だから、表現したんだろう。絵を描いたんだろうね。
でもきっと、「言葉」にする人よりも「絵」にする人の方が、自分自身への理解が進まないかもしれない。
そんな話をしていたら、母が突然「カローラ山荘」の話をし始めた。
(カローラ山荘とは、近所の「元精神病患者施設」で、現在は有名な肝試しスポットになっている廃墟。有名なので調べるといっぱい出てきます。)
「カローラ山荘にも、昔は銅像や絵がいっぱいあったよ。ああいう人達が作るのは、やっぱり、ちょっと変わってるね〜」
その「作品」が今、そのまま転がっていて、廃墟になったカローラ山荘のお化け屋敷らしさを増幅させているのだが…
実は偏見なしで見てみると、意外と、美しい銅像や彫刻が転がっている。
施設といっても、病院チックなものではなく、ペンション風で可愛い建物だし、庭だったであろう場所には、(今は木が生い茂っているけれど)アーチがかった神殿風の柱が立っていたりする。
点在する小さい小屋のようなものは、不気味な魔女の小屋のようにも見えるが、「作業スペース」と言われれば、そうにしか見えない。
もちろん、「不気味」な場所として見れば、間違いなく、めちゃくちゃ「不気味」だ。
そしてその不気味さ、異常さを求めて、若者たちは肝試しに来る。
私だって、このムンクのマドンナを
健全な光の下で見るからこそ、
「あの偉大な画家のムンクが描いた」という目で見るからこそ、
「素晴らしい!」と思うのであって、
これがもし元精神病患者施設だった廃墟に転がっていたら、
異常者の絵だ、狂気の絵だ、お化け屋敷だ!怖い!!
と思うんだろうな。
一体何が違うんだろう?
芸術家と、精神異常者の違いって何なんだろうか?
「意識が研ぎ澄まされる」と「気が触れる」の違いって何なんだろうか?
もちろん
・その人が「表現する技術」を磨き続けること
・公開されること(それを見る人がいることや、公開される土地など)
はとても重要な要素なんだろうけど、
・自分が何を描いたのかを、自分が理解すること
はとても大事なんだと思う。
そしてさらに、
私が今、感じることは、
・解釈者
の存在がとても大きいと思う。
つまり、さらなる「表現者」の存在だ。
▶︎続きます

