北海道では,昔はスキー学習がありました。
現在は、「費用と時間がかかりすぎる」との声が多くなり、やめてしまった学校も多いです。
スキー学習の時、僕は中くらいのランクでした。
上級ランクの人は、自由に滑ることが許可されています。
先生は見ているだけです。みんな楽しそうです。
上手ではない人達は、リフトに乗ることが許されません。
ひたすら、足で上がって、滑るだけです。
そのときも、「手が下がってる!」「腰が落ちてる!」と怒られています。
ころんだら「なにやってんの!こんな事もできないのか!」と怒られます。
みんなつらそうでした。
中くらいの人達は、リフトに乗れるけど、
先生の後をついて滑るだけです。
時々、みんなの前で滑って、そのときもあーだこーだいわれます。
ぜんぜん楽しくないです。
その結果、僕のクラスは、数名のスキーが元々上手な人と、
大多数のスキーが嫌いな人に分類されることになりました。
(成績はまあまあだけど、スキーは嫌いという人が沢山できました)
なんか、この現象は、普通の勉強でも同じかな・・・と思います。
学校の勉強やテストに、もともと相性がよかった子達はほめられます。成績がいいです。
そういう子がたまたま多いクラスは、優秀な子が多いクラスです。
その他の子は、勉強が嫌いになってしまいます。
先生の教えるスピードについて行けない子は、「落ちこぼれ」といわれました。
高校の卒業式の日、校門を出たところで「これでもう二度と勉強しないですむんだ!」と
叫んでいる子がいました。
僕はその姿を見ながら、「勉強を嫌いにする学校は恐ろしい」と思いました。
本当は、
できなかったことができるようになった!
知らなかったことをしった!
わからなかったことがわかった!
は、人間の本質的な喜びだと思います。
それが、
できない=ダメ!
知らない=ダメ!
わからない=ダメ!
と評価した瞬間から、
ダメといわれたくないからこそ、
できないことをやらなくなります。
知らないことを調べなくなります。
わからないことをわかろうとしなくなります。
実力がばれないように勝負を避けるようになります。
僕は学校の数学が嫌いだったから、数学の微分や積分の記号をを見た瞬間に
「あ、自分は無理です」と思ってしまい、その先を見ようともしなくなりました。
もちろん、わかろうとも思わなかったです。
でも、そのころ既に、パソコンで微分と積分のプログラムを作って計算していました。
(飛行機の運動を解析しようとしていました。)
以前見たテレビでは、算数が苦手な男の子が登場していました。
彼は足し算も引き算もできないのだそうです。
5個のリンゴがありました。2個食べました。残りはいくつ?に対して、
「わかんない!」といっていました。
ところが彼は、戦車が好きなんだそうです。
戦車のスペックはものすごく覚えています。
そして、90式戦車が15台に、74式戦車が8台合流しました。全部で何台?という質問には、
即座に「23台!」と答えていました。
「苦手意識」を持つと、人は本当にできなくなります。
そして苦手意識は、他人の「マイナス評価」によって身に付くことが多いです。
悲しいことに、日本ではそこら中に「マイナス評価」が溢れています。
(その原因は「比べる自信」なんですが、それはまた別記事で)
「苦手意識」があると、挑戦できなくなります。
だから、能力が増えなくなります。
そして、状況を変えられなくなります。イヤな状態から抜け出せなくなります。
そして、知る喜びや、できる喜びがわからなくなります。
だから、喜びは「してもらう喜び」になります。
してもらう為にはお金が必要です。
お金がないときはヒマになります。
そして、ひまつぶしもまた、お金をはらってしてもらうことになります。
ずっと同じ状態で、自分の境遇に愚痴を言いながら、してもらうためにお金を払い続ける、
という生き方になってしまいます。
愚痴を言うのなら、改善すればいいのに、と思っても、
「どうせ自分がやってもムダだし」
「自分にはそんな能力ないし」
「自分はバカだから」
と、やる前からあきらめてしまいます。
残念ながら、「苦手意識」を「やらない言い訳」に使っていると状態を変えられません。
現状がつらいなあ、納得いかないなあ、理不尽だなあ、と思ったら、
「もがく」ことはとても大事です。
あきらめて、やめて、よくなる未来はありません。
未来は自分の意志で変えられます。
お願いだから、苦手意識を付けるような指導はやめて欲しいです。
学校でも、会社でも。