日本では、「好きなこと」や「趣味」は、
勉強や仕事の邪魔になる悪いこと!
と教えられることが多いです。
また日本では、
「仕事」や「勉強」は、
嫌なことや苦しいことを我慢する事!
と教えられることが多いです。
おまけに日本では、
「がまん」は「美徳」とされます。
こんなこと教えるから、
「仕事とは、嫌なことを我慢して、お金をもらうこと」と思う人が増えます。
もしも本当に「がまん」はすばらしいことだったらどうなるのか?
寒さに震えていたら、「たるんでるぞ! 根性が足らんぞ!」と怒られて、
風邪で具合が悪かったら、「だらしないぞ! 根性が足らんぞ!」と怒られて、
不便だと言えば、「贅沢を言うな!根性が足らんぞ!」と怒られて・・・・
こんなことでは、僕等は間違いなく、アウストラロピテクスにもなっていません。
だって、がまんは、くふうや改良を否定していますから。
本当は、悲しいことや,苦しいことや,不便なことを、何とかしたい!と思う気持ちから
発明が生まれます。
そうやって人類は進化してきました。
ではなぜ、がまんは美徳になったのか。
おそらくそれは、明治維新以降の日本と密接に関係がある気がします。
明治維新のあと、日本は世界の列強の真似をします。
帝国主義に立ち向かうために、国民皆兵を目指します。
そのときに、軍隊の教育方法を素に、学校教育が作られます。
そしてそのころ、日本は、軍事力を強化するために、国家予算の半分近くを軍備に使います。
だから、国民の生活は貧しく、苦しい物になります。
そこで国は「贅沢は敵だ!」「欲しがりません勝つまでは!」などの
スローガンを「公募」します。「公募」が大事です。(本当に公募かはわかりません)
なぜなら、こんな事を国が命じたら国民は反発するでしょう。
だからこそ、あくまでも国民の意見として、それをスローガンとします。
そして、違反しても国としては罰則を作りません。
かわりに、「非国民」と呼ばれる雰囲気を作ります。
これによって、がまんや耐乏生活は、国民の意思である、としてしまいました。
国民はお互いを監視し合い、「困った」「苦しい」など言おうものなら、
「非国民」と呼ばれるようになりました。
さらには、国力で欧米に勝てないから、
国民が納得するように、精神力で勝てる筋書きを作ります。
そのときに、「白人は個人主義で趣味や休暇を大事にする軟弱者」
「日本人は真面目で勤勉で忠実」だから日本人が勝つのは当然!というイメージを流布します。
(ちなみに、質実剛健とか、克己や、勤勉と言う言葉が、いつ頃から使われるようになったかしらべてみると興味深いですよ。)
これによって、「趣味」や「好きなこと」は「ダメなこと」
「仕事」や「勉強」は苦しいことを不平を言わずにやること、が決定されました。
これはまさに、戦時中に生まれた概念です。
それが、未だに教育の世界では当たり前のように伝わっているのです。
と、僕は思っています。(その原因もだいたいわかってるけど、長くなるからまたこんど)
がまんは、しなくちゃいけない時はあります。
でも、がまんとは、「つぎにかたきをうつために力を蓄える時間」だと思います。
「目の前の壁を、乗り越えたり、避けるための準備の時間」だと思います。
ただ堪え忍ぶだけ、というのは、「本当のがまん」ではありません。
何もしないことを「がまん」ということばで美化してはいけないです。
僕等は、知恵と工夫をフル回転して問題を解決した方がいいです。
がまんとは、あきらめたり、やめたり、自分の心を無視することではありません。
本当のがまんとは、問題を解決する方法を「考える」ことです。
ぜひ考えて行きましょう!