(3日目)より
この日も、好天に恵まれました。
2000m以上の山々に囲まれている山梨では、雲は高い所を流れ、その動きはそれほど速くありません。しかし、海に囲まれた沖縄では、雲は低い所をとっても速く流れてゆきます。
この日はホテルでバイキングの朝食です。召使が、マンゴージュース・海葡萄・モズク・お刺身・豚肉の煮込み等々の沖縄的なモノをとってきて、椅子に座って待っている殿様に献上しました。
ホテル近くにあるゴンドラ。レンタカーで出かけるたびに、毎日ここを通りました。
4日目は、沖縄の南部を巡りました。沖縄巡りの最終日です。
【識名園】
識名園は、俗にシチナヌウドゥンと呼ばれ、18世紀の終わりころ作られた琉球王家最大の別邸で、迎賓館としても用いられたそうです。首里城の東にあった「御茶屋御殿」は「東園」、南にあった「識名園」は「南園」とも呼ばれたそうです。識名園は先の大戦で壊滅的な被害にあい1975年から20年もかけて復興したそうです。
観光客用の入り口ゲートで大きなタイヤの3輪車椅子を貸してくれました。
デコボコ道でも、押す方も乗る方もとってもラクチンで、快適でした。
内側から見た識名園の正門 👆 です。
育徳泉という、池の水源のひとつだそうです。👆
育徳泉の向かい側にある大きな池。 👆
御殿(ウドゥン)の全景だす。👆
車椅子の用意をしてくれた佐々木さんというオジちゃん 👆 は、写真を撮ってくれたり、いろんな説明をしてくれたりで、テンコ盛りお世話になりました。本当にありがとうございました。
御殿(ウドゥン)の縁側です。👆
向こうに六角堂が見えます。👆
お座敷の床の間。👆
台所(グデージュ) 火を炊かれたことがない、真っ白けの竈です。👆
沖縄特有の赤い瓦屋根について、佐々木さんは 「古い時代の遺跡を見ると沖縄も黒い瓦だったようです。高温の1200度で焼くと黒い瓦になり、800度くらいで焼くと赤い瓦になります。沖縄が発展し人口が増えるに従いたくさんの薪が必要になり、木材資源確保の困難と、色彩上の華やかさの2点から、赤い瓦が広まったようですね」 と教えてくれました。
貢一が2004年に沖縄に来た時すでに、赤い瓦屋根の家を見ることは予想に反してとても少なく意外に思ったものですが、今回、沖縄を北から南まであちらこちらを走っていて、観光施設以外で赤い瓦屋根の家々は、ほんの1・2回ほどしか見かけませんでした。若い人々は、沖縄といっても赤い瓦屋根をイメージすることはもうないでしょう。
御殿(ウドゥン)から見える回遊式庭園の眺め。👆
六角堂 👆 は、池に浮かぶ “六角形のあずまや” です。
池の真ん中あたりを横断する2つの石橋。 👆
どちらも日本的というより明らかに中国的です。
中国(支那)と沖縄(那覇)の関係について、多くの日本人は本当のことを理解していません。
《参照》 『今こそ世界は《本物JAPAN》の光臨を待っている!』 河合勝 (ヒカルランド) 《後編》
【沖縄】 【少彦名神】
【首里城公園】
昨年焼けてしまった首里城なので、入り口までしか行きませんでした。 👆 👇
( この写真は、焼ける前の首里城 👇 )
売店のような大きな施設は開いていましたが、実質的には休業状態。
施設館内に、燃える前の首里城の写真があったので、撮っておきました。👆
パープリン系ゲラゲラシーサー、4匹。👆
売店前の広場の椅子にお母さんと同じ年齢(90歳)のオジイチャンが座っていて、昔のことを話してくれました。「首里城の石垣は、戦後になってから今のように立派に作られた」そうです。ということは、燃えてしまった首里城も戦後の製作ということになります。であるなら、GHQの日本文化歪曲政策に基づいて製作されたと考えることができます。そうでないとしても、焼け落ちた首里城は復興しなくていいのです。それが神意です。本当の沖縄の歴史は、これから徐々に開示されてゆくことでしょう。
【波の上宮】
沖縄に来た10日の夕方、ここに御挨拶しに来ていますが、それから3日後の13日、正式参拝するために再びやって来ました。
黒い大鳥居 👆
中鳥居 👆
ギョロ目の白牙シーサーちゃん 👆
拝殿 👆
(この写真 👆 は、2004年に来た時のもの)
赤い柵の向こうで、お母さんと二人、お玉串を奉納し 「神恩感謝」 の正式参拝をしてきました。このとき神職さんは主祭神のことを 「イザナギ」 と言った(!)ので、祈りが止まってしまいました。主祭神は熊野三神なのですし、熊野本宮大社の第一殿に祭られているのは伊邪那美大神様なのですから、「(言い間違いであるにせよ)、イザナギはないだろう・・・」 と思っていたのです。熊野の元宮は淡路島にある諭鶴羽神社であり、すべて同じ霊統で繋がっているはずです。
《参照》 『日本の神々と天皇家のルーツ』 天無神人 (ナチュラルスピリット) 《中編》
【大巫女の御魂がいらっしゃる神社】
正式参拝を終えたので、次に向かいます。
【白川宮:与那覇勢頭豊見親逗留旧跡碑】
那覇泊港から200m程の所にある 「タカマサイ公園」 内にあります。
白川宮とあるのは、与那覇勢頭豊見親の一族名に由来するようです。
石碑 👇 には、ボード 👆 と同じことが書かれています。
読みやすく全文をテキストにしておきます。
この碑はもと「タカマサイ」とよばれた当地に立てられたものである。1390年 察度王の時に宮古の與那覇勢頭豊見親が帰順入貢し泊御殿に住まわれた。ところが言葉が通じないので、その従者に琉語を学ばせた。従者の一人に高真佐利屋という者がいて、毎夜、火立屋(のろし台)に登り、はるかに故郷をのぞみ「あやぐ」をとなえていた。これにより付近の村民、その旧宅の地を高真佐利屋原とよんだ。1767年、ここに與那覇勢頭豊見親の子孫が、長さ一丈二尺、幅六尺の地を請い求め、子孫拝礼の場所として碑を建立した。この碑は、昔、泊の地が諸島を管轄していた頃の記念碑である。なお現在の碑は、沖縄戦で破損していたものを1987年に復元したものである。 (文中にある「あやぐ」とは、沖縄県宮古諸島の歌謡の総称)
《参照》 『 【宇宙の創造主:マスター】との対話① 』 天無神人 (ヒカルランド) 《後編》
【やこう玉】
【ガンガラーの谷】
このあと、南城市にある観光施設 「おきなわワールド」 に行ったのですが、なんと休園でした。
なので、隣接する「ガンガラーの谷」に行ってみました。
駐車場の入口に、こんな綿菓子みたいな花が咲いていました。
でっかいガジュマルで覆われた鍾乳石の洞窟である「ガンガラーの谷」の入り口まで行って、係員のお姉さんに聞いたのですが、お母さんの足では全行程を歩くのは無理のようだったので、入口で写真を撮っただけです。
最後に予定していた2つの観光地に入ることができず、沖縄巡り最終日の午後が、ポッカリ開いてしまいました。
【奥武島の竜宮神】
しかたがないので、海側に向かって車を走らせていると、奥武島という標識を見つけ、何気に行ってみました。
奥武島(おうじま)は、沖縄県南城市玉城にある、直径500mほどの小さな丸い島です。
玉城城跡(たまきグスクあと)付近の道路から撮った奥武島。👆
奥武島へ行く橋の欄干には、神人(かみんちゅ)が乗って来たと思しき船が乗っていました。
奥武島に入り、くねくねとした道を走っていると、竜宮神という標識を見つけました。
コンクリート製の階段を下りてゆくと、二つのくびれ岩があり、その手前で二人のノロ(沖縄の女性シャーマン)さんがお供物を供えて祈っていました。
祭祀の邪魔にならないよう、そっと岩の写真 👆👇 を撮っただけなのですが、南城市玉城のこの竜宮神付近から斎場御嶽がある南城市知念にまたがる海岸一帯は、沖縄の古代史を語り得るスピリチュアルなポイントが並んでいたのです。
奥武島から幹線道路の331号線に戻り、斎場御嶽方面に向かって走っていると、
きれいな海 👇 が見えたので、海岸へ向かう道を下って行きました。
すると、「アマミキヨのみち」 とか 「受水走水」 といった小さな標識があり、
下掲のような案内ボードがありました。
ヤブサツの蒲原から斎場御嶽・久高島に至る海岸一帯は、北流する黒潮が直接当たる地域ですから、宮古島から黒潮に乗ってくれば、この一帯に着くでしょう。そこに「アマミキヨのみち」があるのですから、あとは推して知るべしです。
(上掲 👆 案内ボードの文字が読めるよう、一部を拡大掲載しました 👇)
「アマミキヨのみち」 という細い道を走りながら 「受水走水」 を探したのですが、どこにあるのか分かりませんでした。車が何台も停まっている所があったので聞いてみると、「モズクを取りに来ている」ということで、歴史的な事はご存じないようでした。
「受水走水」とは、「受水(うきんじゅ)=澄んだ水、と、「走水(はいんじゅ)」=流れる水、の一対の源泉がある湧水のことです。
沖縄県南城市玉城には、宮古島との共通項がいっぱいあるようです。
《参照》 『沈んだ大陸スンダランドからオキナワへ』 大宜見猛 (ヒカルランド) 《後編》
【玉城には不思議がいっぱい】
【知念岬】
知念岬は、昨日行った斎場御嶽の駐車場のすぐそばにあります。最後に一番綺麗な写真が取れました。これって、カメラの性能の違いです。
知念岬の下にある海岸は、宮古島と同じ琉球珊瑚石灰岩でできています。沖縄では南城市の玉城から知念に跨る海岸地帯にのみある地層だそうです。
【ホテルでの夕食とサンセット】
このお寿司とコロッケの夕食、実は、昨夜スーパーイオンが閉店する1時間前に行ったら、5割引きではなく7割引きで売られていたものです。あまりに安かったので4つも買ってしまい、ホテルの冷蔵庫に入れておきました。キャッハッハ。貢一の旅は、いつだってこんなもんです。まあ、旅に限らず、食べることにお金と時間は使いたくないですね。お金は体験するために使うものだと思っています。
ホテルのパジャマ姿のまま、昨夜と同じサンセット遊歩道を歩きました。お母さんは、どちらかというと沈む夕日よりお花に興味があります。
インスタ映えポイントなのに、今日もガラガラです。👆
ここからわずか200m沖に「北谷沖海底遺跡」が沈んでいます。👆 琉球大学の木村昭名誉教授は、「北谷沖海底遺跡」を卑弥呼の陵墓と推定しているそうです。卑弥呼は海を渡って日本にやって来た “霊力に秀でた偉大なる巫女たちの総称” です。
陽が沈んだので、サンセット遊歩道からさらに先まで歩いてみました。
お母さんは車椅子に、貢一はコンクリートの岸壁に座り、寄せては返す波の音に癒されながら20分ほど過ごしました。灯りだした綺麗なイルミネーションを眺めつつ、ホテルの部屋に向かいます。
4日目の観光は、これで終了です。
(5日目) へ






















































