(2日目) より

 

3日目の朝は雲が多かったものの、昨日と同様、終日好天に恵まれました。

好天とは言え、真夏と梅雨が重なったような蒸し暑さです。レンタカーはアイドリング状態でも空調がよく効いたので、外を出歩く観光より、車窓から眺められる観光だけで済ませたいというのが、90才のお母さんの本音だったようです。

出発前に、宿泊しているホテルの駐車場で、ホテルの写真を撮っておきました。

 

この日は、沖縄の中部南部を巡ります。

最初に向かったのは、うるまの沖にある4つの島々です。

島々をつなぐ橋や海中道路を走るドライブ旅行です。

 

うるま海中道路

うるま市の南(太平洋)側に突き出た半島の真ん中あたりから、東に向かって伸びるうるま海中道路があります。

両側は、遠浅の海で(コバルトブルー)の綺麗な景色が広がっていましたが、写真を見ると緑色があんまり綺麗に映っていません。薄い青になってしまっています。

海中道路と平安座島大橋の先には、4つの島々があります。

一番手前にあるのが平安座島(へんざじま)

平安座島と浜比嘉島は、1000m程の長いコンクリート橋でつながり、

平安座島と宮城島は、20m程の短い橋でつながり、

宮城島と伊計島は、100m程の赤いアーチトラス橋でつながっています。

平安座島から、橋を渡って浜比嘉島へ行ってみました。

 

【アマミチューの墓】

浜比嘉島の海沿いを走っていると、海側に、こんな小さな看板がありました。

この、こんもりした小島のようなところに、「アマミチューのお墓」がありました。

琉球開びゃくの祖神・アマミキヨ(アマミチュー)とシネリキヨ(シルミチュー)のお墓だそうです。

21世紀になった今、天無神人(アマミカムイ)さんのような高次元を解する方々が、天皇家に関わる沖縄や宮古島の本当の歴史を開示してくれています。

ここが2神のお墓です。沖縄の平安と共に、日本国のルーツに関する正しい認識が日本全体に広まることを祈ってきました。

お墓の左横にあった石碑です。神様の絵が描かれているようですが、下に花が彫られていること以外はっきりとは分かりません。

お墓の前の海には、根本を削られた丸い岩があり、門番のようにお墓を守っているようでした。

奥にある橋は、浜比嘉島平安座島をつなぐ橋です。

 

平安座島に戻り、宮城島に向かいます。

平安座島は人が住む市街地が2割、石油の備蓄基地が8割の島なので、これといって観光スポットはありません。

宮城島もほとんどが農耕地で、観光スポットのような所はないようですが、走りながら見えてくる海の色が綺麗です。

宮城島伊計島を結ぶ赤いトラス橋です。👇

橋の両側(伊計島の入り口)には、シーサーが見張っていました。

片側だけだと、映ってない側のシーサーちゃんがすねちゃうかもしれないので、両方を掲載しておきました。

橋を渡ってすぐの左側に、伊計島ビーチという観光スポットがあったのですが、写真を撮るために400円の入場料を払う気はなかったので、反対側の海岸で写真を撮りました。この時は引き潮で、わずか数分間見てる間に海水がぐんぐん引いていきました。

伊計島のさらに先へ、海に突き当たるまで行ってみました。

「リゾートアイランド伊計島」という観光施設がありました。

完璧に整備されていましたが、施設管理の箒を持った作業員が一人いただけです。

海はとっても綺麗です。

海の色は、海水の深さで大きく変わるようです。深すぎると単なる黒い海になってしまい、浅くなるにしたがって から緑 へと変化するようです。浅瀬では潮の干満が色に大きく影響するようです。

来るときに渡ってきたシーサーが見守る橋の上で、写真を撮りました。 👆 👇

宮城島を走っているときに撮りました。👇

これも上と同じ所から。👇

同上。👇

来る時には綺麗だったコバルトブルーの海でしたが、

1時間半後の帰りの今は引き潮でまるで泥海👇のようです。

沖縄本島のうるま半島に戻ると、すぐそばに勝連城があります。

 

 

【勝連城】

お母さんは歩くのがシンドイらしく、「車の中で待っている」 ことになりました。

世界遺産の勝連城です。手前に管理棟はありましたが係員はいませんでした。

入場料はなく、フリーパスです。

正面から見ると、こんな感じ。

石垣の上には瓦葺の舎殿(勝連城)があったと、案内ボードに書かれていました。

木製の階段ステップと石積の斜面を登ります。

最上部はもうすぐ。

最上段の一つ手前の広場には、神人(かみんちゅ)といわれる女性祭司を中心に行われる「ウチマー」と呼ばれる年中行事の拝所(うがんじゅ)であるという説明ボードがありました。とはいえ、少しの石が並んでいただけでした。この四角い石列は神人たちが腰かけた石列(トゥヌムゥトゥ)だそうです。

最上段の石垣の幅は80cm程ありました。

どこからも海が見渡せましたが、この写真👆は、西側に見える海です。

帰りのくだりでは、下界がよく見えました。

 

【斎場御嶽】 (セーファウタキ)

斎場御嶽のすぐそばに駐車場はあるのですが、現在はそこから400mも遠くにある幹線道路沿いの駐車場しか使わせないようです。やや上りのこの長い道を汗だくになって車椅子を押しながら、漸く辿り着きました。

直近の空車だらけの駐車場は、足が悪い人専用の駐車場にすればいいのに、日本の公務員というのは、ドン引きするほど怖ろしい発想で平然としています。空港なら世界中で障碍者手帳の有無など関係なく車椅子サービスは当たり前に提供されるのですが、日本の観光地を管理する公務員は、「車椅子を押して400mの上り坂を押してこい」というわけです。日本の公務員というのは、本当に悪魔のように冷酷・非情な連中です。

管理庁舎の隣にあるこの石碑が、実質的な斎場御嶽の入り口です。

(これは、前回来た時の写真)

 

大庫理(ウフグーイ) 

最初にある拝所(うがんじゅ)で、ウフグーイには大広間や一番座の意味があるそうです。

 

寄満(ユインチ)

寄満とは王府用語で「台所」を意味するそうですが、ここで調理したわけではなく、貿易が盛んであった当時の琉球では、世界中の交易品が集まる「豊穣に満ち満ちた所」と解釈されているそうです。

 

2本の鍾乳石と2つの壺

愈さんとお母さん。

二本の鍾乳石の下に2つの壺が置かれています。

 

超パワスポの ▲三角岩▲

ここが、沖縄最高のパワスポなのですが、現在は中に入れないよう柵が置かれています。

なぜ柵を置いて三角岩に入れないようにしたのかについて、ソウル出身で旦那が日本人という愈さんは、「2つ理由があります。一つは、コロナで密を避けるため。もう一つは、神聖な場所である斎場御嶽を、観光地化することについて考慮すべきという考え方があります」と説明していました。

後者の意見には基本的に同意できますが、地球の周波数が上がりつつある現在、斎場御嶽の波動に触れて何かを感受する人々は増えてくるはずなので、やはり開放してほしいとも思いました。斎場御嶽は、きわめて特殊な場所(高次元空間)なのです。

   《参照》  『今こそ世界は《本物JAPAN》の光臨を待っている!』 河合勝

【シャンバラの本部】

久高島遥拝所とありますが、ここからは良く見えませんでした。

駐車場に戻ってから撮った久高島です。

久高島は、斎場御嶽から5km程沖合にある細長い島です。

琉球王国時代、国家的な祭事には「神の島」と呼ばれる久高島から “聖なる白砂” を特別に斎場御嶽に運び入れていたそうです。

(前回来た時の久高島での写真)

 

この日の沖縄巡りは、斎場御嶽で終わりです。

 

ホテル周辺サンセット

同じホテルに4連泊ですが、前2泊は陸側、後2泊は海側で予約していたので、今夜からは部屋から海を見ることができます。

ところが、西向きではなく南向きの部屋だったのでサンセットが見えません。ドッヒャ―!

なので、地上に降りて、サンセット遊歩道を歩きながら、日没を見ることにしました。

レストランが並ぶ前の道は、サンセットを見るために作られた遊歩道になっています。

コロナの影響で、写真スポットでの撮影も何ら混むことなく楽勝です。

遊歩道には、えらくデフォルメされた世界地図があり、沖縄は要塞マークで示されていました。沖縄=嘉手納米軍基地だと言いたいのでしょう。

ピンクと黄色の外壁建物が、お母さんの宿泊しているカンパーナ沖縄です。

日没後30分経過した時点で、遊歩道の賑わいはかなり減りました。

ホテルの周辺にある商業施設を少し巡ってみました。

沖縄マーケットという店舗では、ポパイベティー・ブープがお迎えです。👆

どこもネオンはともっていますが、客足は極めてまばらです。

出ベソのキジムナー君。👆

北谷(ちゃたん)のこの周辺には、個性的な建物がたくさんあります。

 

今日は以上です。

 

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