連合国軍最高司令官のマッカーサーは仕事人間で行動範囲は非常に限定されていた。住居である大使館と第一生命ビルのオフィス往復に尽きていたといってよく、国内旅行は一切せず、例外的に厚木や羽田の飛行場に重要な来客を迎えに行く時ぐらいが外出とよべるものだったという。
日比谷の旧第一生命館
1922年に製造され、GHQに接収された10号御料車。この車両が「オクタゴニアン(Octagonian)」と呼ばれる第8軍司令官専用列車となり、アイケルバーガー司令官夫妻やマッカーサー夫人が軽井沢や日光に行く際に用いられた。(歴史のダイヤグラム 原武史より)
しかしマッカーサー自身は軽井沢を訪問したことはない。また彼は在任中に旅行をしたのは鎌倉(の大仏?)を訪問した時ぐらいであるともいう。
そうした中、本日(2026年1月16日)の朝日新聞にマッカーサーの鎌倉訪問に関しての記事が載った。
見出しは「宮司目線の『鎌倉案内』」である。
鎌倉の鶴岡八幡宮の吉田茂穂宮司が書籍「鶴岡八幡宮宮司の鎌倉案内」を出版した。
宮司は同宮が保管する記録に基づき、
「1945年9月2日にマッカーサーが前触れなく幕僚12人を連れ参拝した」と記した。
専用機「バターン号」で厚木に飛行場に降り立ったのが8月30日の事でそのわずか3日後である。治安の心配もすでになかったのであろう。
しかもこの日は午前中に東京湾上のアメリカの戦艦ミズーリ号の甲板で、日本の降伏文書の調印式が行われた。
その午後にマッカーサーは同宮をお参りしたのである。そして当時の宮司に、
「40年前にも来たことがある。その時と少しも変わっていない」と懐かしそうに伝え、「今日は急ぐからまた来ます」と話したという。おそらく日本側に伝えることもなく、占領軍として思うままに行動したのであろう。
そして戦前の新婚旅行も含め、マッカーサーは少なくとも4回(鎌倉を)訪れているとも書いてある。
調べるとそれから4週間後の9月29日には妻ジーン・マリーと参拝した。その2日前に昭和天皇との重要な初会談を終えたばかりだったが、それが参拝の動機と関係するかは不明だ。また、10月28日には同じ敷地で源頼朝と実朝をまつる白旗神社の祭礼に、自身の代わりに200人の将校を参列させた。(東京新聞デジタル 2024/11/09)
すでに鶴岡八幡宮に残る記録については知られていたようだ。また以上でマッカーサーの鎌倉訪問は2回である。
まさに40年前の1905年に父が日露戦争の観戦任務のための駐日アメリカ合衆国大使館付き武官となった。マッカーサー自身も副官として日本の東京で勤務した。本人が「40年前にも来たことがある」と語ったのだから、この時も鎌倉は訪問したのであろう。これで3回だ。
1937年に2度目の結婚をした際、新婚旅行で日本を訪れ、横浜のホテルニューグランドに宿泊した。新婚旅行の時も鎌倉を訪問したとすれば4回になる。
今は官邸に張り付きの記者がいて、首相の動向は細大漏らさずに把握されているが、当時は日本のマスコミはそんな余裕もないから、こうした記録でマッカーサーの足跡がわかるのは嬉しい。
鶴岡八幡宮の参道(若宮大路) 八幡宮に関し、筆者が撮影したのはこれくらい。
完
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