この度立教大学のライフスナイダー館で展覧会『細野さんと晴臣くん』が開催されていると知った。申し込もうとしたら、土曜日はすでに埋まっていた。しかし今回も「建物の外観だけでいい」と訪問した。細野晴臣さんは立教の出身であった。
左下の黄色の看板が『細野さんと晴臣くん』の案内。木の陰から分かるように完全な逆光だ。
1926年から翌年にかけて、当時の立教学院総理(後、総長)、ライフスナイダーの邸宅として、最初に建設された。校内には教職員の住宅(校宅)として建てられた10棟の洋館が立ち並んでいて、唯一残るのがこのライフスナイダー館であった。
1940年10月、泥沼化した日中戦争による対外関係の悪化により、ライフスナイダーは、立教学院理事長および総長の職を辞し、翌年10月、日米開戦2か月前にアメリカに帰国する。(立教大学ホームページ他)
蔦に覆われた壁
正面からだとどうしても木が入るが、庭からだとそれがない。
立教大学はほぼ赤レンガ造りの建物に統一され、歴史的建造物も多い。
正門の正面にあるのが本館(モリス館)。米国聖公会宣教師アーサー・ラザフォード・モリス氏の寄付によって建てられた立教のシンボル。1919年の落成で記念写真を撮る訪問者も多い。
1934年、江戸川乱歩は立教大学に隣接する住宅に移り住み、70歳で死去する1965年まで住み続け、その後大学に寄贈された。改修工事が終わり、5月から一般公開されたが、この日は閉館だった。
歴史的価値としては、奥にある書庫として使われた土蔵の方が高いようだ。(見えず)
ライフスナイダーは宣教師として夏を過ごした軽井沢にも痕跡を残している。
拾い上げると次の様なエピソードがある。
1 大正時代より昭和初期にかけて、昼間の(軽井沢の)旧道通りは西洋人ばかりと言っても過言ではなく、その多くは宣教師なので、宗教的な雰囲気に溢れていた。
当時この花道での立役者は、ノーマン師の他に立教大学のライフスナイダー師や、小布施の新生療養所を開いたウィーラー師などである。
ライフスナイダー師は、いろいろな人に影響を及ぼすが、朝吹常吉がここに別荘を開いたのも、師の手引きによるものという。
娘の朝吹登水子によると父は、静かな軽井沢を(父が)とても気に入り、子供が大勢なので、もう一軒、欲しいと思って、ライフスナイダー師の別荘を譲りうけた。
2 大正8年(1919年)、 ゴルフ場建設の機運が盛り上がり、翌9年、徳川慶久、田中寛、西邑清、ライフスナイダー他数名によって建設計画とクラブ規則の原案がつくられた。場所は、大熊別荘付近の離山中腹、旧桂公別荘付近も候補にあがったが、、、(後略)
→宣教師はゴルフをするのであろうか?それとも原案作りのみに参加したのか?
3 1941年夏の軽井沢国際テニストーナメントで女子シングルス優勝者はライフスナイダーと記録ではなっている。娘さんであろう。この年の12月、日米開戦となる。
ライフスナイダー館の訪問から、立教に留まらず都心の大学には貴重な建物が数多く残っていることを実感し、軽井沢まで思いを馳せた1日であった。
軽井沢会のテニスコート
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