最初に種を明かせば筆者は上智大学の出身である。

その頃は全く興味がなかった建築分野であるが、最近は”にわか”近代建築ファンとなり、古い建物を追いかける中、母校にも素晴らしい建築物が残っていることを知って、訪問。

 

 1号館 東京都選定歴史的建造物

 

1932年に竣工。第二次世界大戦中の東京大空襲を免れ、現在に至る。

大正から昭和初期にかけて、日本各地のカトリック教会を設計したスイス人の建築家マックス・ヒンデルが手がけたドイツ風の学校建築。ヒンデルの設計で現存する建物は少ない。

なお1927年建築の横浜・本牧のヒンデルの自宅は数年前に売りに出された。

建物は今も残っているのであろうか?

 

夜の1号館も味がある

 

1号館の前にあるヘルマン・ホフマン初代校長のブロンズ像。1937年完成。

文字が右から左に書かれているので戦前のものだと分かる。

 

廊下のたたずまい。土曜日の午後は授業も無いようでした。

 

大学のエコバッグのデザインにもなっている。

7号館 アントニン・レーモンド設計

 

1969年竣工。少し前に軽井沢のアントニン・レーモンドの「新スタジオ」の見学会に参加した際、案内役でレーモンドの愛弟子であった建築家の北澤興一の説明で、上智大学7号館もこちらで基本設計を行った(はず)とお聞きした。レーモンドといえば1935年完成の軽井沢の聖パウロカトリック教会など、戦前の建築家と理解していたが、戦後、再び日本に戻り、活躍したことを恥ずかしながらこの時知った。(1976年死去)

昨日お会いした知り合いの大学の先生も、レーモンドの話は御存じなかった。

 

かつて7号館には先生の研究室があり、私もよく訪れた。

 

四ツ谷駅からも見える7号館は今も上智のランドマーク。

ただし建築から50年以上経ち、耐震補強工事が始まったよう。外見上は半世紀を経過した歴史を感じないが。

 

軽井沢のアントニン・レーモンドの「新スタジオ」の作業場。ここで7号館の基本設計もされたとのこと。

 

もう一つ貴重な建物は明治時代に建てられた上智大学の「クルトゥルハイム」としてすでに紹介した。

 

 

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