マックス・ヒンデルの自邸(下で紹介)が売りに出されていると知り、加筆(2026年4月2日)
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スイス人の建築家、マックス・ヒンデル(1887年-1963年)はスイスのチューリッヒ出身の建築家で、1924年に札幌に移住し、北海道における「近代建築の開拓者」と言われる。チューリッヒはかつて筆者が暮らしたことのある都市で愛着を感じている。
1927年には横浜本牧に自宅兼事務所を構えたが、1940年第二次世界大戦中のドイツに帰国する。こうしてその間に関東地方にも彼の設計の建築物が出来るのだが、筆者に所縁のあるのは次の2棟だ。
1 上智大学1号館。1932年に竣工で2024年、東京都選定歴史的建造物に選定された。筆者が大学時代に学んだ教室だ。当時すでに古びた教室だと思った(笑)
廊下もシックな佇まいで、下のように時計を入れた写真はよく目にする。
上の光景をデザインしたエコバックを学内で販売している。
横浜山手の「フランス山」に、関東大震災で倒壊後、1930年に再建されたフランス領事公邸。1947年1月に不審火で焼失し、現在もその鉄筋コンクリート造1階部分が遺構として現存。
こちらも横浜開港資料館の発行物などではヒンデルの設計だが、ウィキペディアの作品一覧には載っていない。しかし横浜開港資料館は信頼できるし、ヒンデルの本牧に住んだタイミングとも建築時期は矛盾しない。公邸の跡地は筆者は何度となく訪れた場所。
また現存する門柱は、当時の領事公邸ものと横浜開港資料館は述べている。
コンクリート部分の遺構。
説明パネル。
マックス・ヒンデルの本牧の住居は1927年、自身の設計によるものだが、本人が帰国後も、大事に住み続けられてきた。そしてその存在はほとんど注目を浴びなかった。
しかし数年ほど前売りに出た。仲介した不動産業者の情報には、彼の自邸であることが述べられ、そのまま住むもよし、または取り壊し、新しく建てるのも可となっていた。
歴史的建造物としての認定を受けていないから、取り壊しもハードルは低かったのだろう。
そのほとぼりも冷めた頃かと、先日訪問してみた。
すると建物は取り壊されることなく、しっかりリノベーションして、新しい所有者によって使用されているのを見て安心した。
塀によって2階部分しか見えないが、壁は焦げ茶色の下見板張りで、1階から2階への曲線が美しい。
右側は端正だ。
売りに出された不動産の広告を見ると、裏には芝生の広い中庭が広がる。
遠方を見渡すと木の間には港のコンビナートの煙突が見える。
一番驚いたのは、表札にあった新しい所有者の名前だ(左側で覆っています)
日本ではよく知られたドイツ人で、知る人ぞ知るといった家系である。
そういう人が住まわれて、とても安心した。
門柱の上のガラス上のデザインは紋章か。
マックス・ヒンデルの設計した神田カトリック教会の紹介はこちら。
こんな話も付け加える。
「終戦まで東京に留まったヨゼフ・ハイドリッヒ(宣教師)」
下落合の聖母病院(32年開業)内に同じく宣教師のヨゼフ・ウゴリンと暮らす。ここには終戦間際には36名の敵国宣教師、修道女(全員プロテスタント)が抑留されるのだが、両者の間の交流があったのかは確認できない。戦後間もなくの「外国人所有財産調査」ではふたりについて「宣教師につき見るべき資産無し」となっている。
この聖母病院もヒンデルの設計であった。
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