第一部に続く)

 

三菱一号館から、東京駅を右に見て、日本工業倶楽部会館に向かうが、東京駅には足を停めざるを得ない。

 

1903年に辰野金吾(前年まで「帝国大学工科大学」の学長)に設計が依頼され、1910年に完了、1914年に開業した。その後2012年、開業当時の姿に復原される。

 

どこから見ても絵になる姿。行きかう人々がまるでミニチュアの中の人形の様。(2020年2月)

 

正面からは最もよく写される姿。(2024年12月)

 

東京駅丸の内中央口のほぼ正面にあるのが「日本工業倶楽部会館」。

日本工業倶楽部は1917年に創立された法人で、初代会長は三菱合資会社頭取の豊川良平。現在の所有は三菱地所で、前回丸の内あたりは明治時代「三菱ケ原」と呼ばれたと書いたが、ここでも三菱の名前が顔を出す。

 

会館の完成は1920年。3年後の関東大震災で大きな被害を受けるが修復され、1945年の大空襲も生き抜いた。1999年に登録有形文化財として登録されたが、老朽化のため2003年に会館の南側部分(下の写真のかなりの部分)を保存・再現したうえで建て替えられて今日に至る。

 

煉瓦造りではなく、鉄筋コンクリートなのでどこか歴史、古さを感じない。当時は最先端の建物だったのでしょう。

 

2024年12月30日に放送されたNHK映像の世紀の「戦後日本の設計者 3人の宰相」で日本工業倶楽部が登場した。
アレン・ダレス特使が吉田茂首相と日本の再軍備について話し合う。
『日本工業倶楽部五十年史』には1951年2月2日、
「ダレス特使、日米協会主催の歓迎午餐会で、対日講和に関する重要演説を行う」とある。

 

屋上の坑夫と織女の像は建設時のオリジナルの材料を使用。

男性はハンマー、女性は糸巻きを手にし、当時の2大工業である石炭と紡績を示している。

 

たまたまこの中で打ち合わせがあり、館内に入ることが出来た。1階広間より大階段を望む。

他にも紹介したい建物のある丸の内、それらはまた次の機会に!

 

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