186番は現在「港の見える丘公園・フランス山地区」で、いくつかの遺構が残っている。
煉瓦造り井戸遺構。1896年のフランス領事公邸建築時に、上水道がまだ敷設されていなかったので設置。丘の上なので、井戸の深さは30メートル。

かつての風車のレプリカ。上の井戸の水をくみ上げるためのものであった。奥はマリンタワー

公邸の門は建設時のものが残っていると書くものもあるが、あまり古そうにも見えない。
私の知人は次のように語っている。
「約65年前、ここ在横浜フランス領事館敷地内におんぼろの木造の家があった。そこの住人マダム滋野さんから小学生だった私はフランス語を習っていた。マダムのご主人は滋野男爵、そうフランスで"飛行機野郎"として名を馳せたバロンシゲノでした」(2023年9月)
滋野清武はフランスの航空隊に所属し、パイロットして活躍する。そして戦争未亡人のフランス人ジャーヌ・エイマールと結婚する。

「いずれ日本人もどんどん、渡仏するようになるだろう。私が本当にしたいのは、そういうフランスで、日本人の為に役立つ仕事をする事だ。」と考え、横浜のフランス領事館を訪問する。領事は
「戦後、入国ヴィザの申請にこられたのは、あなたが初めてですよ。そいうえば、戦後、フランスから単独で、初めて帰ってこられたのもあなたでしたね。」と語った。
「戦後、入国ヴィザの申請にこられたのは、あなたが初めてですよ。そいうえば、戦後、フランスから単独で、初めて帰ってこられたのもあなたでしたね。」と語った。
領事館遺構
また「東洋信号通信社」も同地番内にある。1932年に港の船を見張るために設立された港にゆかりのある会社。

1943年時点ではフランス領事館(以前185番)と領事官邸の両方が存在している。同一の建物であろう。住んでいたのは以下の通り。
エドム・ガロア (フランス領事 家族2)
梁実田 (中国人 雇人コック 家族2)
1930年築の官邸は1947年に焼失。この遺構の場所に領事一家は住んでいたはず。

187,188番はフランス山の下で、1921年の地図ではP.M.S.S Co. Coal Yardとなっている。Pacific Mail Steamshipという汽船会社の石炭ヤードがあった。現在は新山下一丁目 、一軒やレストラン「ヒルサイドガーデン」あたり。
どこか古き時代を感じさせる建物、ヒルサイドガーデン。(2018年末に閉店)



