桜道から山手本通りの三育幼稚園前の交差点に戻ると32番だ。
そして山手公園北側入口の交差点の35番へと道沿いに続く。裏に並行して走る道までそれぞれの地番だ。
そして山手公園北側入口の交差点の35番へと道沿いに続く。裏に並行して走る道までそれぞれの地番だ。
1891年から1910年まで、捜真学院が34番にあった。
このあたり、1943年にはドイツ人家族が多く住んだ地域。
34番 ルドウイグ・デツケルト (会社支配人)家族3
34番 テオドルヒュゴ.フツクートマン (商社員)家族2
34番 レオポルト・モスラ― (事務員) 家族2
34番 ウオルダンヒ・ウイヒマン (大使館員) 家族2
35番 グスタフ・ゼーリヒ (商社員)家族1→ウインクレル商会
32番 ヘインリッヒ・ゼールハイム(総領事)家族4 詳細はこちら
32番 エムマ・ラングハイム (領事館タイピスト)
32番 ウィルヘルム・フエルケル (商社員)家族1 34番 ルドウイグ・デツケルト (会社支配人)家族3
34番 テオドルヒュゴ.フツクートマン (商社員)家族2
34番 レオポルト・モスラ― (事務員) 家族2
34番 ウオルダンヒ・ウイヒマン (大使館員) 家族2
35番 グスタフ・ゼーリヒ (商社員)家族1→ウインクレル商会
この中には子孫が今も横浜で暮らす方がいる。これだけの家族が暮らした34番には、当時すでに複数の家が建っていたはずだ。
32番の横の塀は煉瓦と石のブラフ積みが交じっている。

33番 ユニークな洋館。

33-4の洒落た表札。


同じく34番館の横の立派な玄関。

山手本通りの35番はマンション「山手町コーポテラス」。
道を折れたところは35-2で鋼鉄の門に閉ざされたLodge Yamate。
道を折れたところは35-2で鋼鉄の門に閉ざされたLodge Yamate。
1934年、横浜ドイツ領事R・ブットマンの私邸が35番で、ゲストを呼んでもてなす様子が日本の警察によって記録されている。(2025年2月21日追加)

