何も言わずに逝ってしまった幼馴染 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

おい久坊・・ お前幾つになった?

 

 

 

記憶が始まった5歳の頃から一緒に遊び、現在まで友情が続いていた幼馴染が逝ってしまった。

60年以上前も今も、呼び名は「久坊」「たかしちゃん」だ。

 

高校まで共に過ごし、大学、ヤマハ当時、この会社を興してからも、故郷の大分県津久見市に帰るたびに野人の世話をしていた。

数年前も鹿児島からの帰りに社員一同、原人、今野さんらと共に自宅にお邪魔して父母や妹達とも話もした。

空き家になった野人の実家の鍵も預かり管理もしていたので、野人宅の廃墟に皆をご案内した。

 

東芝を退社後に自営業をしていたが、今はたまに漁労をして市場に魚を出していた。

野人の会社の株主にもなり、釣った魚を伊勢に送り届け、津久見に寄った時には魚や栄養ドリンクのお土産を持たしてくれていた。

 

関アジを釣って送ってくれる約束も8月に電話で交わしていた。

その久坊の顔が夜中にいきなり目の前に浮かんだ。

これまでの人生で一度も浮かんだことがなかったが、関アジが釣れたのかもと思いながら眠りについた。

 

翌朝に久坊から電話があり、「関アジ釣れたのか?」と聞いたが、電話の声は久坊の妹で、久坊が夜半に亡くなったことを知った。

 

痩せっぽちでカナヅチで海に入ると夏でもガタガタ震えていたが、特に病気もしない久坊がこんな早く逝くとは思わなかった。

祖父母は90歳以上まで生き、父も90以上生きた。

その父が1年前に亡くなったことも8月の電話で知った。

 

妹からの電話では相当具合が悪かったようで、通院を繰り返し、身の回りの始末だけでなく家族や妹達への配慮も怠りなく、船も夏前に処分していたにも関わらず、野人には何も言わず関アジを釣って送る約束をしていた。

たぶん、買って送るつもりだったのだろうな。

 

10月にも皆を連れて途中に津久見泊、久坊も夕食に呼ぶ予定だったが、野人の都合で中止になったので連絡はしなかった。

 

妹には・・

「具合悪いなら何でもっと早よ言わんのじゃ 何とかしてやれたのに」

 

「兄ちゃん‥誰にも迷惑かけたくない気性だから・・」

 

早く知っていれば帰って何とか出来たかも、寿命を伸ばせたかもと悔いが残る。 妹も詳しい病名を知らなかった。

92歳の久坊の母も電話に出て話した後、上の妹とも話をした。

10月に野人が津久見に帰っていても病気のことは言わなかっただろうな。

 

むー母の危機の時も深夜に初めて顔が浮かび目覚め、すぐに電話、心臓の危機は直前に去った後で、「母ちゃん 呼んだか?」と聞くと、「呼んでないわよ、死ぬかと思ったけど復活、救急車もさっき断ったし」だった。

 

浮かんだ久坊の顔には危機を感じなかった。

静かに逝って、別れの挨拶に来たんだろうな。

逝った時刻よりも後のことだったから。

 

祖母は野人と似たような予知力を持っていたが、むー母はもっと凄まじい力を持っていた。

野人も微力ながらそれを引き継ぎ、何度か命拾いもし、多くの人も事前に危機から助けたが、危機を何度も念を押したにもかかわらず助けられなかった人達もいた。

母は人の心も野人の心も読めたが野人はそれほどは出来ない。

たとえ読めても久坊は助けられなかっただろう、本人が望まないのだから。

 

長い付き合いで、野人は幾度かあるが、久坊が野人に頼みごとをしたことは一度しかなかった。

それも自分の為ではなく、東芝テニスクラブの仲間達に頼まれての合宿時の用心棒依頼だった。

 

久坊は誰にも頼らず望み通りの幸せな人生を送れたと思っている。

 

 

 

釣って船倉に活かしてたイサキのお土産

空き家になった野人邸

とうに還暦過ぎて孫もいる妹達 若いお嬢さんに見えるな

野人部屋  久坊が管理人

久坊のお土産 いつものように栄養ドリンクとミカン

19歳  むー母と

21歳 幼馴染達  セピア色・・だな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 またな・・・ 久坊汗

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