常識から文明は生まれない | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

常識から文明が生まれることはない。

常識が続く限り文明は現状のまま。

 

常識も最初は非常識。

その非常識から文明は生まれ、文明は非常識の繰り返し。

進化する常識もあれば根底から覆る常識もある。

 

常識を覆すのは何時の時代も大半はたった一人の人間。

さぞかし非常識とバカ扱いされたことだろう。

しかし多くの人はその恩恵を受けている。

 

何故バカ扱いされるのか。

何故耳を傾けようとしないのか。

耳を傾け内容を把握してから判断しても良さそうなものだが。

 

既に自ら考える力を失ってしまったからだろう。

集団生活から文明は生まれ、依存性も増す。

依存性が増すほど他力本願に陥り、思考能力は低下する。

 

依存性で学んだ学問をいくら積み上げ、新たな発見を目指そうが依存性の域を超えることはない。

科学は目覚ましい発展を遂げたが、取り残され悪化した領域もある。

それが現在抱える多くの問題であり、解決の糸口さえ見えない。

文明の歪、学問の歪とも言えるだろう。

 

人間は文明の中で育ち、教育を受ける。

科学、社会、モラル、マナー、哲学・・

思考回路もそれらを元に組み立てられ、それぞれの人格が出来上がる。

 

それを駆使して問題解決に臨むがままならないことは多い。

悩みや苦しみが増えるのも当然だろう。

 

しかし、よく考えて見るとよい。

世の中の仕組みがおかしいこともあるだろうが、一番の原因は思考が行き詰まることだ。

 

機械文明に関しては努力と時間で解決することが多いが、生命と心の問題はそうではない。

人は間違え、失敗する度に反省、自分を顧みる。

それさえ上手く行かず、同じことを繰り返す場合が多い。

 

楽な方に、都合の良い方に考えればそうなるだろう。

的確に修正しない限り解決には向かわない。

修正出来ない理由は2つある。

 

一つは、思考の手法が間違っていたか、その学問が根底から間違っていたかだ。

二つ目は、自分が間違っていたと考えないプライドだろう。

 

常に間違えるのが人間であり、優れた脳には利点も欠点もある。

素直にそれを認めればよいのだ。

 

自由に適当に生きて来たお野人は、社会のルールを破りまくり、皆さまにお詫びしたことがあまりにも多過ぎ、社会的・法的制裁も受けた。

しかし、最低限の配慮があったからさほど敵を作らなかったのだろう。

生まれた時から世間一般的なプライドも上昇志向もない。

 

常識や学問に囚われることなく常に自分の頭で考え続けた。

産業も学問も自然界が基盤、自然界の道理と照らし合わせながら学ぶのが当たり前。 そうすれば世界の常識・学問であろうがそのまま受け入れられないことが山ほどある。

不確かなものをそのまま受け入れて覚える脳など野人は持ち合わせてなく、すべて切り捨てた。

 

人生において学ぶことは多いが、学問などほんの一部でありただの道具に過ぎない。

野人理論も同じこと。

自分で作った理論をこき下ろすのに何の抵抗もないのは、さようなプライドなど微塵もないからだ。

 

時々記事にしているが、当たり前すぎて理論と言うのも恥ずかしい。

理論などただの道具に過ぎず、人間性とは何ら関係がない。

大切なのは人としての心であり、理論などその足元にも及ばない。

 

人は魂を磨くために生まれ、試練を乗り越えるが、磨こうとして磨かれるものでもない。 しかし磨こうとしなければ磨けるものではない。

 

未熟な野人が言うべきことでもないが、一つ言えることは、自らを省みて必要なら自分を切り捨てることだろう。

間違いを間違いと認めない限り何ら変わることはない。

 

失敗の歴史、敗北の歴史から野人の魂は磨かれ、理論も生まれた。

それでも未だ至らない、切り捨てなければならない所も多い。

命の重みを感じながら殺生を続け、人の心の痛みを感じながらキツい記事を書き続けている。

 

何の為に学ぶのか、生きるのか、時には頭の中を空っぽにして、文明から、学んできたことから、自分の性格から、一歩離れて考えてみるのもいいだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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