朝7時に家を出て鹿児島にやって来た。
9月に飛行機の予約をしていたのだが、昨夜まで何時の飛行機なのか知らなかった。
昼前後というのは覚えていたが、帰りの日と、飛行機の時間も定かではなかった。
昨夜はくたびれて湯船で寝てしまい、出てからおソファーでコテ・・・
パソコン、電気、テレビもそのまま、窓は全開だった。
朝の5時前に寒さで目覚めたが・・・毛布もかけずシャツ一枚なら当然だな。
この時間に目覚めて丁度良かったのだ。
何の準備もしていなかったから目覚ましの手間も省けた。
準備と言っても毎回のように何も思いつかない。
結局荷物はノートパソコンだけで着替えもなし。
今夜は・・・さあ行こう・・最高、天文館 ![]()
24歳から28歳まで4年以上、毎月3日~4日平均、4人乗りセスナ、10人乗りアイランダーなどヤマハの飛行機で、諏訪の瀬島、硫黄島、屋久島などから通い続けた九州でも有数の歓楽街だ。
島での衣食住、必要備品、本などもすべて会社持ち、月に一度の備品買い出し出張を兼ねた休養では3泊食事も会社持ち。、
必要な私物もなく、まったくお金の使い道がないから飲んで食べまくるしかなかった。
「宵越しの銭は持たない」とはこのことだろう。
危険手当、特務手当、離島手当など、基本給の倍ほどの破格のギャラだったが3日4日で消えていった。
屋久島以外は給与賞与全額だから、寄付の総額はおそらく・・700万を超えるだろうな。
島へ帰る時は腰も心も懐も身軽になって手ぶらだ。
それ以来、三重に来てから30年以上、業務以外で飲み屋さんに行ったことは一度もないし酒はほとんど飲まない。
至って質素な暮らしぶりだ。
豪遊し過ぎて飽きたこともあるが・・他の理由もある。
このホテルに来る途中、5年間で150回は通っただろうシャンソンクラブの看板を見かけた。
まだ健在だったが、もう行かないしその必要もない。
殺伐とした「東シナ海流」時代、明日の命もままならず、もしもの時の為に母に遺書を書き残していた。
闘志を燃やす反面、荒んで行く野人の心をなだめ、癒してくれたのはシャンソンだった。
東京から多くのシャンソン歌手が訪れ、ステージを賑わせていたが野人は毎月いつもそばで生のシャンソンを聞いていた。
サラリーマンには不相応な高価なクラブだったが気にせず通った。
抜き身の剣が、今では抜け殻のセミ・・・
今日のシングルルームはセミダブルベッド・・
つまらん脱線で何を書こうとしたのか忘れてしまった。
つまり・・スケベ心を胸に秘めて通ったのではないことを読者に言い訳したかったんだな・・・きっと
今では家でも車中でも音楽を聴くこともない。
明日は8時半のフェリーで種子島だ。
種男君が迎えに来て、放置されたキビ畑、バナナ畑などを案内、山へシナサルナシも探しに行く。
これから1人で美味しいご飯
食べに出かけて・・すぐ帰りましょ ![]()
夜は物騒だし・・・
「東シナ海流」の連載を続けて
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風をよむ2 理論と本能
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野人のクラシックギター
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むー母最強列伝 頭が変な理由2
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母の遺言を聞く
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