当たり前の食べ物とは 1 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

今は常識が当たり前の世の中、それと比べたら野人は非常識極まりない「当たり後ろ」の男になる。

何故にこのような人間になってしまったのか、それは思考の起点が違うからだろう。

生き物は自らの判断で生き抜くものであり、その結果においては文句を言うものではない。

判断の失敗からさらに学び、知恵を磨けば良いのだ。

人類は農業の発見から集落を作り、文明が生まれ繁栄して来たが、それは人類の歴史から見れば一瞬の出来事。

何万年も家族単位で暮らしたのは他の生き物と同じで、群れたほうが都合が良いからたまたまそうしているだけなのだ。

その家族も役割が決まり、男女の体型も思考もそれに合わせて進化した。

人間の場合は男が知恵を駆使して獲物を捕り、家族を守らなければ滅ぶしかない。

文明に身を委ねても、人として生きると言うことはまず食べ物の判別と確保から始まる。

それは個体であろうが集団であろうが生き物としての原則ではなかろうか。

だから本能が強い赤ちゃんは片端から口に入れて食べ物を認識しようとするのだ。

消化殺菌、胃腸の修復の為に大量のよだれを流すのはその為なのだ。

そのような哲学が子供の頃から徹底していたから結果として非常識人にされてしまった。

学校で習ったことや常識を信じてそのまま覚え続ければ頭も使わずこれほど楽なことはないが、それらは自然界の仕組みから考えてもおかしなものばかりだった。

「何でじゃ?」と聞いて明確に理由を答えられない教えはすべて却下、自らの判断に準じた。

正しいと判断した科学の知識と、自ら体験した自然界の道理を噛み合わせながら単純明解、誰でもわかる独自の地球物理学を構築して来たとも言える。

それが「協生理論」であり協生農法はその一部だ。

このブログのサブタイトルは「森羅万象から見つめた食の本質とは」、食は生きる上で最も重要なこと、それを生涯費やして追い求めた道理がこの野人エッセイすなのだ。

本能から入り、感性で気付き、視点を定め、道理を組み立て答えを導き出した総決算だ。

私情を入れず、あらゆるジャンルから立体的に示したものだから半端ではない。

理論に「こう思う」などと言うものはなく、誰が解いても同じ答えが出る。

単純な理論はすべて連立、強固なキュービックのようになっているから間違いようもない。

一角が大きく崩れれば他が成り立たず、すぐに間違いがわかる。

教わった常識をベースに何年研究しようが学問の起点ベースが異なるのだから、一般的な専門学者程度なら野人理論には到底太刀打ち出来ない。

そうかと言ってそれほど難しいものではなく、個々の理論は専門に入る以前の単純な道理ばかりで、言うならば一般教養に近いものだ。

生き物の原則を忘れた人類は食の過ちから自らを滅ぼしつつある。

常識の名のもとに皆で赤信号を渡っているとも言えるだろう。


続く・・



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