野人農園始動 | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

野人エッセイす

グミ サクランボの木と キャベツ
野人エッセイす

たくましい雑草のようなニラ
野人エッセイす


多忙な夏も終わり本格的に農園の整備を始めた。9月に入り、草も残りの野菜も一斉に刈り取ったが生命力の強いニラはいたるところから生えて来た。ニラやパセリの定位置などはなく草代わりに生やしている。これから10月にかけてと春先に段階的に種を撒き、秋から初夏までの9カ月は野菜などで埋め尽くされ、毎日が収穫で管理作業はほとんどない。

出荷用でも家庭菜園用でも生産量は自在に加減出来るが、野人農園はあくまで実験が目的だから量産はせず、野菜のみならず山菜や木の実、薬草、その他有用植物を前面に配置している。その種類は1反で数百種に及び、大地が生みだすもの全てが対象だ。

野人農法は、耕さず、肥料も堆肥も石灰も農薬も必要とせず、夏の一年草と虫と鳥を大切にする農法だ。彼らなくしてこの農法は成り立たない。それぞれに重要な役割があり意味を持っている。だから虫一匹殺すことも鳥を追い払うこともせず、むしろ色々な仕掛けで呼び込んでいる。ウグイスにヒバリ、キジまで巣を作り、フクロウ、イタチ、モグラ、ネズミなど周囲から多くの生き物が集まって来る。そして野人と共存、いつも彼らには感謝の気持ちを抱いている。彼らに迷惑をこうむったことなどはない。そしてその環境を作り出しているのが草と無数に植えられた樹木で、畑だがその数は果樹園よりはるかに多い。1年草は保水力、うね構造の強度と柔らかさなどの土壌環境を整え、樹木は虫と鳥と土と野菜の為に植えている。木は彼らの住処にもなり、土には腐葉土と微生物、野菜には木陰を提供する。腐葉土を生み出す林の下草代わりに野菜が生えていると考えれば良い。樹木は実をならせる剪定ではなく野菜にあたる陽光の調節の剪定だ。

すべて自然界の循環の道理に逆らわず、知恵は環境作りと多収穫の為に使い、野菜の生育には直接関与しない。野菜は植物であり、作るものではなく自ら環境を整え育つものだという考え方が根底にある。その理由については幾度か書いてきた。

農園の設計施工には頭を使い、時間もかかったが、野人は野菜の生産場所を作ったのではなく、人間も含めてすべての生き物が生きて行ける理想郷を作ったつもりだ。

植物の種は発芽する場所を選べず、自然界には多様な森や林がある。強いものが生き残り、他を淘汰して群落を形成する。しかし永遠ということはなく、いつかは姿形を変えて行く。里山も放置すれば下草は消滅、生態系も移り変わる。それらを観察研究していて、どう関与すれば最低限の力で最大限の糧を得られるか、すべての生き物が仲良く生きて行けるのか、その集大成がこの農園なのだ。彼らを利用しようという気持ちはまったくない。すべての生き物が喜び、その活力が生命力の源であると考えている。人は理にかなった大地が生み出す生命力のある植物を食べなければ生きては行けない。

まだ研究途中だが進めば進むほど彼らに対する感謝と尊敬の念が湧いてくる。それによって野人は変わったのかも知れない。

足元の大地を見れば見るほど、生き物を観察するほど人は優しくなれる。そして大地とは何かが理解出来る。

やがて・・森羅万象の仕組みに人知は到底及ばないこともわかる。

野人は武人だが彼らとは戦わない。それは負けたのではなく素直に頭を下げたからだ。

戦って勝とうとする限り農業の迷走は続くのかもしれない。