野菜に関して人は中身よりも見た目を重視するようだ。
魚介も山菜もすべてそうだが、味と外観は全く関係がない。
予備知識がなければウナギもアンコウもオコゼもウニもグロテスクで食べる気がしないはず。
人は何万年もの間、自然界のものを生で食べて生き延び、やがて加熱する事を覚え、安定した食材を確保する術を知り集落が生まれた。
ここ数十年で科学は飛躍的に進歩、消費者は食材に形や色など「見た目の感性」を持ち込むようになり、農業はそれに合わせた「製品」を作るようになった。
それらの野菜が常識として流通するようになると、それと並行するように健康を害するようになった。
内臓細胞や代謝の異常でいまだに原因の特定には至らず対策も治癒薬もない。
「予防、早期発見」と言う掛け声だけが高らかに響いてくる。
ガンや糖尿病だけでなく、他に病名が見当たらず「うつ」と診断されるのも代謝の異常で本来の植物をまったく食べないのが原因だろう。
酵素不足もあるが生命力が足りないのだ。
だから本来備わっているはずの自然治癒力もなくなってくる。
それは入浴剤や歯磨き粉にも同じ事が言える。
入浴剤や歯磨き粉の乱用と共に花粉症やアトピー、紫外線の害や髪の問題も急激に増えた。
人間の常識は森羅万象の非常識であり、地球上の生命体は植物動物例外なく適度な脂膜と微生物に守られている。
生まれた時からの常識と称して毎日そのバリヤーを自ら捨て去ればそれも当然の成り行きだろう。
たまには誰がそんなバカな常識を作ったのか考えて見るのも頭の体操になって良いかもしれない。
その常識がペットの寿命をも縮めている事さえ気づいてはいない。
柔らかくて水っぽい野菜ばかり食べていれば、正常な野菜はアクと硬さを感じてしまう。
そしてこれはいつもの食べやすい「野菜」ではないと判断する。
今は野菜がどのように出来ているのかさえ知らない子供達も多い。
それを親子代々引き継げば、さらにそれが不動の常識になって行く。
そんな野菜を好んで求めることは自分達の首を絞めるようなもの。
食べやすさ美味しさで判断するならそのような食品、野菜はいくらでも作ることが可能だ。
野人はケーキもシュークリームも目の前にあれば喜んで食べる。
食文化は食文化として重宝しているからだ。
しかしケーキやチョコレートパフェを、体に、健康に良いと思いながら食べる人もいないだろうし旨いから野人も食べるのだ。
食材の「本質」を知る事は生きて行く上で最も大切な事ではないのだろうか。
豊かな文化生活の陰に置き去りにされているような気がしてならない。
農薬による「虫も食わない野菜」よりも「虫に食われ過ぎる」野菜のほうがはるかに異常だ。
植物の本質を知れば、育たない貧相な野菜が正常で、育ち過ぎる立派な野菜は異常と言うことも理解出来るはず。
人が作った常識的な野菜を基準に比較するから貧相に見えるだけなのだ。
異物の吸い上げと分散の為に細胞が異常に膨らむのは植物の使命。
そうやって植物は何億年もの間生き物の為に地上を浄化し続けて来た。
だからこそゴミもなく安心して動物は地上に住めるのではないか。
植物を知らずして人は何を作り続けようとしているのだろうか。
農業は太陽どころか土壌すら必要としない世界にまで入ったようだ。
植物の本質を起点にして考えるならそれこそ異常な世界だ。
農業技術と共に急激に増加した「病気」と言う洗礼を受けても人は植物には視点が向かないようだ。
毎日のように大量に食べるのは植物ではないのだろうか。
「野菜と野草はまったく違う、食べやすくした人の知恵」と言うなら、今の養殖野菜は加工食品の部類になるだろう。
野人は化学肥料、有機肥料野菜を問わず何でも食べるし農薬にもさほど神経質ではない。
「食料」と考えれば悪くはないし、便利なもので食べやすくて美味しい野菜や果物もある。
それらを食べることは何の問題もない。
野人理論は、病気の原因は「本来の植物をまったく食べない」事にあると言っている。
有機野菜や玄米菜食でガンや諸々の病気が改善されるなら世界はそれ一色になっているはず。
科学医学で特定出来ないのは「道理」が間違っているからだ。
賛否はともかくやってみれば必ずわかること。
植物を摂ることで病気が改善されれば誰もが喜ぶはず。
人は多種多様な健康問題に直面、残留農薬や添加物には神経過敏だがもっと足元を見つめたほうが良い。
いくらでも草は生えているし、そこには何百億もの「小宇宙」が見えるはず。
その草を野菜に置き換えれば良いことだ。
今の農業が草と虫を目の敵にしている限りそれが見えることはないだろう。
それも人が築いた常識だ。