朝方、うつらうつらしているとこんな言葉が耳に入り、笑えて目が覚めてしまった。腹筋の痙攣はすきっ腹に響く。野人は空腹で目覚めるように出来ているのだ。夕べもまた何時かわからないがソファーでコテ。夜中に寒くて目覚め、布団へ行って快適に寝たつもりだった。しかし布団へ行ったのは夢だった。毛布一枚は寒かったが根性だけで寝ていたのだ。電気もテレビもついていたが気にならない。ところがこの言葉で笑いが止まらずに起きてしまった。聞いた事があるような名のけったいなおっさんが楽しそうに喋っていた。うまいことを言うものだと尊敬してしまった。みのもんたが、中高年、特におばさま方に人気があると言っていたが、こきおろされて励まされ、ムチとアメの虜になったのかも知れない。歯も毛もないのはしょうがないが、先がないわけでもない。考え方次第だろう。若者と比較すれば先が短いのは当然だ。キンさんギンさんと比べれば良い。人は生まれた時から死に向かう。80年100年は長いとも短いとも言えないだろう。後たった50年しか生きられないと感じる学生もいれば、後50年も生きられると喜ぶ中高年だっている。願望はキリがないのだ。野人も中高年だが、気持ちは学生の頃から何ら変わってはいない。気持ちだけでなく現実も同じだ。老後の事など一度も考えたことなく心配したこともない。貯金したことなく生命保険もかけていない。土地も家も関心がなくいまだに借家だ。家具もたいしてなく、貧乏会社の社長をしてはいるのだが、借家がなければホームレスに近い。格好良い言い方をするなら、毎日が徒手空拳、背水の陣だ。逃げる場所、安住の地など昔も今もない。人は今を生きている。野人には後も先もなく、先の為に生きたことなどはなかった。自分の将来は考えた事はないが、地球の将来は常に考えてきた。ビジョンも使命感もある。野山や砂漠で最後を迎えようが、海であろうが一向に構わない。畳の上や病院はごめん被りたいと思っている。だから友人知人から非常識扱いされ「野人」の称号をいただいた。自然界はすべてそうだが、「生きる」ということには時間は無縁だ。数ヶ月であれ何百年であれ、皆黙々と生き、長かろうが短かかろうが悔やむ生き物も嘆く生き物もいない。そうして自分の使命をまっとうしている。人は彼らよりは優れた知能を持っている。その知能をどのように使うべきなのか野人はいまだに考えている、これからも同じだ。それが地球に生を受けた恩返し。命には限りがあるのが当然で、後半は人間として生きてきた集大成なのだ。自分に恥じる事、人に恥じる事、地球に恥じる事は一度もしなかった。人間として、男として誇りを持って生きている。気力が萎えれば生も終わる。人は他の動物と違ってどのよう形であれ自由に生き方選ぶことが出来る。野人の生き方は野人でしかない。家族も友人も大切だが、生き物は生まれてから死ぬまで一人なのだ。人は孤独を嫌うが、孤独が原点だと思えば寂しくもないだろう。しかし・・やはり・・歯も毛も先も・・あったほうがいい。
さらに、愛する人がいれば人生はバラ色に輝くなあ・・・あははははは~!