野菜の生命力とは何か。それは他の植物とまったく同じものなのだ。「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」と言う言葉を人はよく使うがその通りだ。気と細胞のバランスがとれていることを言うのだが、その気が「生命力」だ。「気」が植物の意思であり、その指示に従って細胞が育つ。人が自分の強い意志で身体を鍛えれば骨格も筋肉もそれに会わせて発達する。他の動物も植物もその仕組みはまったく同じだ。細胞が各自の意思で鍛えて筋肉が増えるわけではない。「気」は生命体の全細胞の指揮者なのだ。植物は大昔から発芽する場所を自分で選べない。どんな土地であろうがその環境条件に合わせて自力で頑張ってきた。自分の代で満足に成長出来なければ、すぐにそれを感知して、小さいうちからたとえ一個でも花を、種子を残そうとする。環境を整備してそれを次代に残そうとするのだ。そうやって植物は何億年も進化を繰り返してきた。植物は大きくても小さくても「気と細胞」のバランスがとれている。しかし人はそれを「貧相」と判断しているようだ。野菜は色や形で判断する「物質」ではない。見た目は立派な人間が必ずしも中身が伴うとは限らないのと同じ事。大きくなったものは環境の良さもあるが自力で目一杯頑張った結果の姿なのだ。
自然の植物と今の野菜と比べてみればわかるが、人は良かれと思い随分余計な事をしている。土壌を人工的にふかふかにして、肥料をたっぷりと与える、邪魔と称して土壌を作る草を排除、さらに循環の一環を果たす虫や鳥も最初から排除している。少しでも薬を使えば野菜だけでなく土壌微生物のバランスも崩れる。野菜と称する植物は自然界とはまったく異なる環境で育つのだ。厳しい環境で自力で土壌を整備する事もなく、ひたすら養分を吸い上げるしかない。つまり、やることないから何も考えず努力もしない(笑)。部分的に見れば水分と養分で育つから、土は必要ないと言うことになり工場生産が始まった。人は野菜の「成分」しか見ないから、モヤシもミツバも水耕野菜も健康の為に重宝する。野菜の成分がこの数十年で半減していることは知っているが、その原因をどのように判断しているのだろうか、「よくわからないが仕方のないことだ」で済ましているようだ。前記のやり方で化学肥料を使った野菜にはまったく生命力がなく、有機野菜は半分くらいだろう。丹精込めて植物の生命力を奪い、肥料を与えて膨らませていることに変わりないからだ。微生物を集めている分だけ少しはマシだが、野菜の心身のバランスが悪い事には違いない。だから化学肥料野菜とまったく同じように虫や病気の洗礼を受ける。人の内臓細胞と同じことなのだ。山菜をたまに食べているならともかく、そればかりを食べ続ければ体内の細胞には気が行き渡らない。だから意識して有機野菜ばかり食べたとしても細胞の異変であるガンは避けられないだろうと野人は思っている。ガンは昔からあったが、異常に増えたのは農業の間違った進化と比例している。生命力のない野菜が食の中心となり、有機肥料の内容も人糞中心の昔とは随分異なる。以前は放任に近い野菜も多く、薬も使わず穴だらけの野菜で地産地消が主流だったのだ。生命力を計測する機械はないが、それは食べた人間が本能で判断する事だろう。見た目や味に左右されずに生命エネルギーを感知出来るはずなのだ。道理に外れた「常識」や「習慣」のフィルターがそれを妨げている。
野人は、この道理を理解して、ガンや腎臓など他の内臓の治療に採用してくれる医者を探している。友人の医者達は病院経営に忙しくてそれどころではないのだ(笑)。それに、実験に成功したら、患者が減って経営が成り立たなくなるようだ。たぶんそんな気前の良い医者はいないのかも知れない。野人流循環農業も、迷惑する人が農家の周囲には多すぎるのだ。