野菜の誤認が招くもの1 本質 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

多くの人がテレビで農業や野菜の話をするのだが、野菜本来の健康についてはまったく語られない。語れる人がいないからだ。薬害には敏感で、減農薬や無農薬野菜に注目し、意識して栄養学の視点から野菜を選ぶ。野菜や果物の撰び方も、色や形や張りなどもっともらしく話すから生産者の余計な苦労が増えてゆく。さらには手っ取り早いサプリメントで足りない養分を補おうとするからメーカーは目の色変えて新製品を売り出す。この飽食の時代にそれほど栄養やビタミンが足りないのだろうか。年中これだけの季節外れの野菜が出回っている時代はないのだ。食べまくっても足りないのなら野菜がおかしいと考えるほうが自然ではなかろうか。この数十年で間違いなく野菜の成分は大きさに反比例して激減している。野菜連鎖の始点は生産者だが、技術を開発したのは農学者だ。「野菜を、効率よく、柔らかく、立派に作る」ところからスタートしているから全てがおかしくなる。野菜は植物であり、「植物とは何か」と言う肝心な本質が置き去りにされているから野菜の本質を語れる人がいない。農学者と植物学者はまったく別個の人種であり、その植物学者でさえも未知な部分が多すぎるのだ。野人は植物学者から学び、農業分野で色んな結論を出してきたがその度に感心するのだ。「誰もそんな事考えないが、間違っていない・・凄い!!」と。今は株主でもあり最大の協力者だ。もっぱら採取して食べるほうが多いのだが毎日が天国らしい。農学者の株主も知人も野人農法を見て目をテンにした。つまり野人の農法の矛盾を指摘出来る植物学者も農学者も存在しないと言う事だろう。いるならば是非指摘してもらいたいと望んでいる。さらに、無農薬有機野菜が「安全で健康な本来の野菜」と言う認識が一般的になっているのだがそんなこともない。オーガニックやロハスなる言葉も流行しているが、イメージが先行して野菜とは何かを知らない人のほうが多すぎる。美味しさと健康とは異なる。「自然と体に優しい」と言う意味も考え直すべきだろう。自然というものを徹底して理解しなければ語れない言葉だ。それらについてはまた次回に。野菜を買う目的は、価格でも健康でも美味しさでも構わない。それに合わせて作られている

誰もが「健康な本来の野菜」の本質を見失っているようだ。以前よりも健康に悩む現状がそれを物語っている。野菜はすべて薬草なのだから。